神理

平成14年8月号 第1062号

        

巻  頭  言
「おかげ」とは奇跡ではない。
「おかげ」は自分自身の中に感じ取るものである。
きっかけや糸口を、どのようにたどって行くかで、大きく深くなる。
どのように育て、成長させるかは、自身である。

『ありがたし かたじけなしと 思うその
         心に神の 御陰〈みかげ〉あるなり』(教祖御歌)


                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
     あ   い     め ぐ み      い の ち
   生れ出でて 神恵あればの 生命なり
   
         むく          かみ   こ  みち
        酬ひまつるぞ 神の子の道    
 四季の巡〈めぐ〉りは、時として生〈しょう〉じる僅〈わず〉かな遅速〈ちそく〉を埋め合わせ
ながら、春夏秋冬と言う順序を違える事なく、酷暑本番の夏・八月を迎えることになりま
した。それに、較べま すと、国政その他、世情の推移は一進一退と言うことで、区切りが
見えがたいように思われます。
 そうした中で、先月には、長野県議会が知事不信任案可決と言う希有の決断を示
し、知事は敢えて失職・再出馬を選択するという劇的な出来事が生じました。対決姿
勢を鮮明にして区切りをつけたという点については、近来稀な快挙!と申すことも出
来そうであります。
 尤も、県知事の側にも、県議会議員の側にも、此の事態を招くまでの姿勢には問題
点あり、と指摘する声も聞かれます。自らの非が是正できない者同士の争いと見る事
も出来ぬではなく、そうなれば、幼稚な子供同士の喧嘩同然!ということになりそう
であります。
 前知事には、県民の代表としては欠落する所ありとする初期の支持者の評価も聞か
れますが、依然として新風を吹き込んだという高い評価が続いているとの事でありま
す。随って、対立候補者に人を得ない限り、一般県民としては、苦渋の選択を迫られ
る事になりそうであります。
 選挙の場合には、選ぶ対象が立候補者に限られており、長野県民も、二者に絞り込
んで優劣を決める事になると思われますが、それにつけても考えさせられるのは、選
ぶ対象が自分自身の前途という場面になりますと、二者に絞り込むこと自体が極めて
至難!という事であります。
 立場による頻度の相違は別として、人生には事の決着を迫られる場面がある訳で、
そうした場面では、色々と数えあげられる選択肢を考え合わせる中で、二者択一でき
る状態にまで絞り込む努力が不可欠であり、是を怠ると大きく前途を誤る事になりか
ねぬ様であります。
 未曾有の不況低速が続く中で、みずから死を選ぶ悲惨事が多いと報じられていま
す。その思い詰めた状況には同情を禁じ得ませんが、我々としては、明確には理解で
きぬにしても、相応の存在価値があればこそ只今を生きていると受け止める事が肝心
であり、その『生』を健全に保つ事を大前提として、前途の選択を模索しつつ着実な
歩みを進めねばならぬと考えます。
                                             

オノズの道

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

ちょっと待った!に恥じたこと 

ちょっと()った!に()じたこと(あつ)()はソーメンや(れい)(めん)がおいしく(かん)じるように、(いま)()()はこうした(はなし)(みじか)めが()いかなと(おも)います。

 (きた)(きゅう)(しゅう)()(ない)幼稚園(ようちえん)園長(えんちょう)さん(たち)(はなし)をしていて、絵画(かいが)についての教育(きょういく)談義(だんぎ)になりました。

 神理(しんり)幼稚園(ようちえん)は、(そと)では五万(ごまん)平方(へいほう)メートルという境内(けいだい)(なか)(おも)()(あそ)べ、(うち)では()()(かぎ)(よう)()(みずか)らが(かんが)えた(あそ)びが(ふか)まることを()()しています。

 その(よう)()(えん)は、(しょう)(がっ)(こう)(にゅう)(がく)までに二千(にせん)メートルが(はし)れることと、ひらがなをきっちりと()めて()ける()どもを(しょう)(がっ)(こう)(おく)()す!ということです。

 (かみ)()(よう)()(えん)の“((ちゅう)(しょう)(てき)な?)(みずか)(かんが)える(のう)(りょく)”と、その(よう)()(えん)の“(()(たい)(てき)な?)(はし)()ける能力(のうりょく)”では、目的(もくてき)遠近(えんきん)だけでも雲泥(うんでい)()があります。

もし(みな)(さま)がご()(ぶん)のお()(さま)(ため)(よう)()(えん)(がっ)(こう)(えら)ぶときには、どちらの(ほう)(しん)()られるでしょうか。

(みずか)(かんが)える(のう)(りょく)”と()っても(ほん)(とう)()(たい)()()()るのかな、と(おも)われるかもしれませんし、(ちゅう)()(はん)()なら()(まえ)のものを()った(ほう)()いということになるでしょう。

 

 (かい)()についても(おな)(よう)()(えん)という()がつきながら、ここまで(ちが)うかというくらいの()(かん)じます。

 その(よう)()(えん)(えん)(ちょう)さんが(きょう)(しょく)(いん)(もと)めて、()(えが)かせるのなら、(もく)(てき)()ちなさい」と()()するそうです。すなわち、(たと)えば、コンクールでの(にゅう)(しょう)()()すとか…」とのことです。

 (ひっ)(しゃ)は、その(もく)(てき)のあまりの(ちが)いにとまどいながらも、()(えが)(もく)(てき)は、(よう)()()(えが)くことをいかに(たの)しめるか、また()(えが)きたいなと(おも)えるようになることが(いち)(ばん)だと(おも)います。

 

 (にゅう)(しょう)()()すことは(かんが)えないし、(おう)()もしたことがありません」と()いながら(ひっ)(しゃ)はつい、「まあ、そちらの(よう)()(えん)採る(とる)手法(しゅほう)か、神理(しんり)幼稚園(ようちえん)採る(とる)手法(しゅほう)かのどっちかででしょうね」などという、(あい)(まい)なことを()ってしまいました。

 その()(ふん)()()(こわ)したくないという、(ちゅう)()(はん)()(おも)いがありました。

また、(おや)()便(べん)ではなく()どもと(しゃ)(かい)(しょう)(らい)(ため)という()(てん)で、もう(いっ)()(うえ)()()(のう)(りょく)または()(よく)について、()っても(いっ)(しょ)かもという(しつ)(ぼう)(かん)にとらわれたのです。

その(よう)()(えん)()()ちからの(ほう)(しん)(はな)したからと()って(かん)(たん)()わるはずがないと(かんが)え、その()(ひっ)(しゃ)()(ろん)をもう(すこ)(ねつ)()()って(つた)える()(よく)(うしな)っていました。

 

 そこで、(いま)まで(だま)って(わたし)たちの(はなし)()いていたもう(ひと)()(えん)(ちょう)から、“ちょっと()った!”がかかったのです。

 (ひっ)(しゃ)とは(ちゅう)(がく)(こう)(こう)(どう)(ねん)()(だん)から(なん)でも(はな)()(あいだ)(がら)ですが、しっかりした(かんが)えを()っています。

「もちろんどちらが(ただ)しいか()(ぶん)()えるわけではないが、“…どっちかでしょうね”は(ぜっ)(たい)にない(こた)えだ」と()うのでした。

 (ひっ)(しゃ)(あたま)一発(いっぱつ)ガ〜ンと(なぐ)られたような()がしました。

 (こと)()というものは、ほんの(すこ)しの()(そく)()くことで()った(ひと)(にん)(げん)(せい)()(たい)(うたが)われても()(かた)のないということがあります。

 (ひっ)(しゃ)(たい)(へん)()ずかしく(おも)ったので、その(えん)(ちょう)さんに、(てい)(せい)します。

 (わたし)先生(せんせい)絵画(かいが)教育観(きょういくかん)同意(どうい)出来(でき)いのに、“どっちかでしょうね”などといい()(げん)()わらせようとして()みませんでした」とお()びしたことでした。

 

 このとき()ずかしさと(とも)(はん)(せい)したことは、()(ぶん)()(ごと)信仰(しんこう)誇り(ほこり)確信(かくしん)()てているのかな、ということでした。

 ()ててはいても(わす)れたり(うす)れていたりということで、うっかりぼんやりとしているのではないか、でした。

 (なつ)(あつ)いといってぼんやり()ごしていては、(もく)(てき)(うす)(ひび)々を(おく)ってしまう。

 (しん)(ねん)があって()(ごと)をし信仰(しんこう)をしているのであれば、その(はなし)をするときに信念に反する仕事の仕方にうなづいたり、そんな信仰の仕方もありますね、ではやはり(なさけ)けない。

 (ひと)(はなし)理解(りかい)しながら、()(ぶん)(しん)(ねん)をはっきりと(つた)えられるようになりたいものです。

 
    

        

         教  祖  の  道  統 (32)
     現代語化
      長崎教会 教会長 大教庁文化局長  花 岡 勝 成

第三章 教祖の人生観

 第四節 人生の帰着(結末)(7)
日界・月界と顕幽が分かれた訳
・素盞嗚神とその子孫(小見出しA)
 さて、この素盞嗚神は出雲国にて八股の大蛇を斬り玉い稲田比賣をめとり、吾心清
々しく夜見国を司り玉いき。
 この大神の六世の孫を大国主神亦の名を大己貴神なり。
 この神は少彦名神と力を合わせて天下を経営し、天下の蒼生(アオヒトクサ=人
民)の為に医薬の法、厭禁の法を始めて遂に大国主となる。
 この中津国をうしはぎ給う時、天之忍穂見命の御子、邇々岐命を此大地の主となさ
むと天降し玉う時に、武甕槌神、経津主神をして荒ふる神どもをおだやかにする時、
大国主神に天神の御子の為に、この国をたて奉る(さしあげる)かどうか問い玉う
に、命令に従いますと杖にしている穂先の広い矛を二神に授け玉いしに、二神はその
結果を神に報告されると天神即また二神を降し大己貴神に言葉を述べられる。
「今、汝が言う処を聞くに深く理に叶えり、今からは汝が知らさむ顕露の事は皇孫が
天を治しめすべし。
 汝は天之日隅宮を常宮として幽事を治めようと詔り給いしかば、大己貴神報告白さ
く。
 天神の御教えを懇ろ(こまやかな心づかい)なるごとかくの如し、あえて命令に従
いさらむや。
 吾しろさむ顕露の事は皇孫是を知らせ(司どれ)、吾は退いて幽事を知らさむと。」
 即ち岐神(伊邪那岐命が黄泉国から逃げ帰り禊祓いした時に投げ捨てた杖から化生
した神。道路や旅行の神。道租神)を二神にすすめて曰く。
 これ我に代わりて従い奉るべし、吾は是より避う去らむと。
 即ち自ら瑞八坂瓊(非常に大きな玉で作った曲玉)をとき、ついに八百土杵築宮
(多くの赤土を盛って築く意)に長く隠れましぬ。
 ここに皇孫瓊瓊杵命は天降り給いて、天津日の基を立て玉いて顕露の事を知らせり。
 これ第三の顕幽分界の区別にして、神は幽より人を守り、人は顕より神の功徳を蒙
り、神を敬い人の道たる神の道を守り、生きて悪しき事をなせば死して幽冥世界に於
て苦しみを受け、生きて善事をなせば死して幽冥界に於て楽しみを得る。
・顕と幽の視点を持てば、
 真の善悪が見えること(小見出しB)
 すべて善をなせば心清々しく、悪をなせば心暗く足重く地に引かれるも、みな幽と
顕とはもと一つなるは神の深き大御心より、広けく大なる御功徳を以てなし出だせし
無極(限りのない)無量(はかりしれなく大きい)の神理なり。
 故に神の気中に生まれ出でむ人たちは此理をわきまえて、闇(目に見えない、表に
あらわれない)といえども心をおろそかにする事なかれ。
 神は幽にませば人の目を以て見る事が出来なくても、神の目より人の善悪起居動静
を見る事は、例えば灯の前にあるものを灯の後ろより見るが如く、形の影と映るが如
く、声がこだまとなって相応えるが如し、思い忘るるべからず慎むべし。】
と、ようするに教租は顕幽分界を、第一に自然的に観察され、第二には神人関係即ち
神と人、肉体と霊、又男と女というように区別が出来る秩序正しい自然の理に観察さ
れ、第三には神と人との関係が一層深くなって、善事をすすめ悪事をこらしめるとい
う事が根本であり道理であると理解され、同時に現世的顕幽観念を主体として説いて
居られるようである。
 それは、先程引証したように、大国主神が天孫に国譲りをされた時、顕露の事は皇
孫命が是をつかさどるべしと、国家統治の政治上の大権を皇孫に移し、
「汝は天之日隅宮を常宮として幽事を統治せよ」との御命令は、政治上の地位から精
神界(幽界)の教えの権力者に移した意味を十分に表されて、人の生前の善悪を死後
幽冥界において大国主神の御許へ帰るというのは、根本の道理や正義という問題であ
って、生存中の善悪が国家憲法に及ばない場合がある。
 例えば、行動や意志にも表わさず、只心の奥底に潜在している善悪は法律で賞罰す
る事が出来ないが、神はこれを賞罰される意味であって、
「すべて善をなせば心清々しく、悪をなせば心暗く足重くして地に引るる」とあるよ
うに明らかであり、本教教典顕幽分界章に
【教祖曰く、現世は幽冥の管(支配)する所、幽冥は神明(神)の主宰される所、現
世にて悪をなす者は天皇必ず是を錮らし(一室に閉じ込めて自由を奪う)、幽冥にて
悪をなす者は神明必ず罰すと。
 謹んで考えてみると、善は褒め悪は懲らしめるという道は顕幽共にあり。
・真の善悪が解れば、
 人生の目的がわかる事(小見出しC)
 但し目を以てこれを見る事が出来ないもの、耳を以てこれを聞く事が出来ないも
の、顕と幽とその界が異なるが故のみ、生きるや幽より出でてそうして顕に入るな
り、死するや顕を出でてそうして幽に入るなり。 生存中顕明身体にあり、身は顕に
して心は幽なり、それ人は肉体を以て霊を包み、神は霊を以て肉体を包む、豈(どう
して)慎まないのか】
と、永久に存在して顕幽を理を以て貫き通すものは、偉大なる活動の上に築き上げた
『よし=善』である。

 永久にしト不変の神に一致するも又その通りである。
 『よし』という力及びその活動は忠君愛国の至情(真心、ごく自然の人情)とな
り、又道徳の根本に合一して、一人格は遂に神化されて永久の存在者となるのであ
る。
 大昔の神々が現在に示顕するのも、或いは忠臣(忠義な家来)義烈(正義な心が強
く盛んなこと)の志士(=国家、社会の為に自分の身を犠牲にして尽くそうとする志
を有する人)が国家の祭祀を受けて、その御霊が顕著に存在を認められるのも、皆こ
の顕幽一貫の神理を悟った上に一身以て造化の功業を助長した結果である。

現世と幽冥の関係・安心
 是によって見ても、現世的霊の帰入がその第一義であることを納得される処であろ
う。
神理学入門に
【現 世 幽 冥 始 、 幽 冥 顕 世 基】
と教え又
 現世は 神となるべき かくり世の
  しらべどころぞ つゝしめよ人
(神理百首)

と明し玉えり。
 そうしてこの顕幽一貫の道理に安心し決定したならば、現世的天賦(天が分けあた
える)の我が ”力“は神の御力に添うまでやって、やり抜くという一大勇猛心が起
こるであろう。 その勇猛心の前には何等の不平も不安も恐怖もない。
 実に生と死の間は真美に愉快に健全に精進すれば得られるものである。
 我国は古来この信仰が伝統的に我民族性として血液に流れているから、国家に一旦
事ある場合は常に、良くこの信仰を統一されて表現したものである。
 そして、善をなしたる霊は神界に帰って一段の活動を増加し、悪をなした者はその
霊が根国底国に於て苦しみの渕に沈み、可愛い子孫を護るべきカもなく、幽世への帰
着に迷うものであるという事に至りて、生存中の善悪は死後の世界での霊性に関係
し、そして、人間最後の要求にこの上もなく大きく関係を及ぼすのであるから、人間
に正しい信仰が起こり、その信仰は道徳をはるかに超えて最も深い観念が成り立つも
のである。
 今、更に教祖の御歌一首を書き記して人間最後を帰結せんとするものである。

 
生死は共に やすけくたのもしゝ

  神のみかげに たよりはてゝは  (教歌百首)


大 祓

 六月三十日、午前十一時から今年上半期の大祓(おおはらい)がとり行われまし
た。前日から、あいにくの雨模様。当日の十一時には、どうにか雨は上がったもの
の、足元が悪く、大教殿西の廊下からの遥拝となりました。
 大祓とは、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国でお受けになった
罪やけがれを洗い流そうと、水を浴びて身体を清められたという故事に由来します。
日頃、私たちが知らず知らずのうちに、ふれたり染まったりしている罪やけがれを、
古神道の神事によって祓い清めるものです。
 自己を反省し、慎みを持って清々しい日々を送れますように、また親神様のお導き
によって心身健康・家内安全でありますように、という皆さんの祈念の込められた人
形・車型・二輪の形代(かたしろ)の焼納祭は、午後四時から行われました。
夏越祭〈 な  ごし  さい〉

平成14年7月14日(日)

 九州に二つの台風が接近し、悪天候が予想された七月十四日…。しかし、当日の空
は見事に青く晴れ渡り、まさに夏本番を思わせるような思いがけない好天となりました。
 陽光に映える青葉をぬって、蝉の声が響く中、大元稲荷神社へと足を運ぶ皆さん。
午前十一時、夏越祭が始まりました。夏越祭とは、衣食住の感謝、商売繁盛を祈願す
る行事です。
 管長様は挨拶の中で、「いなり神社」の「いなり」という字にはいくつかの書き方
があることにふれ、大元稲荷神社の「稲荷」の「稲」は、「いのちの根」という意味
であること。生産する人間、食べる人間にとっては「いのちの根」として大切なもの
であること。そして、「厳しい世の中ですが、これからも大元稲荷神社に足を運ばれ
まして、心をお運び下さいますように。そうすることによって、自然と大きな御加護
が与えられ、心やすらぐものです」と、お話されました。
●津山教会 野上 均さん
 二月の初午祭、七月の夏越祭と年二回は必ず大元稲荷神社にお参りさせていただい
ています。最初、津山教会の先生から「十年は続けるように」と言われましたが、い
つの間にか、もう二十年になりました。ずっとお参りできるということは、健康だと
いうことです。そして、健康だからこそ、仕事を通して世の中にお返しできる。振り
返ってみると、目に見えないおかげをたくさんいただいているような気がしますね。
悪い時だけでなく、いい時もお参りする。この「続ける」ということが一番大事だと
思います。
●津山教会 三好 正信さん
 野上さんという大先輩と一緒にお参りするようになって、四、五年になります。私
は提灯を作っていますが、心が曇ると、明かりも曇ってしまうものです。しかし、こ
うしてお参りすることで、心は清々しくなります。その心の明かりを、仕事の中で伝
えていければと考えています。神理教の皆様と心を磨きながら、明かりも磨いていき
たいですね。そして、世のため人のため、人を照らす明かりを心を込めて作っていき
たいと思います。これからも、野上さんと二人三脚で頑張っていくつもりです。

*** スケジュールのご案内 ***

穂見大祭(永 代 祭 祀 祭)
8月16日・午前11時
祭典後、玉串拝礼、講話
本 院


平成14年度講習会等 予定
9月16日(月〈振休〉)稲荷宮講習会
11月17日(日)広島地区ブロック研修会
11月23日(祝)本院、一日講習会
12月7・8日(土・日)短期講習会(教師対象)

御霊符について
 御霊符は教祖明星大神の御神霊をお鎮めした御符であります。
 この御霊符によって多くの人々が内外の難病を平癒し安産などの御蔭をいただいて
おります。
 御神水によって頂き、或は患部に貼り、「教祖神守りたまえ幸いたまえ」と一心に
祈念すれば御霊験を授かることができます。
御教誡 禍をさけ病のいゆる厚き神徳を忘るることなかれ

   

短 歌

新玉の五十鈴の清水くみつぎて

   親子三代橋渡りけり


四日市市 伊藤 徳彦
三重県 伊藤 守彦

 『伊勢神宮の短歌・俳句の投稿箱から、平成十三年十二月〜平成十四年三月までに
全国より伊勢参拝の折りに投稿いただいた短歌・俳句の中から優秀な作品(短歌五、
俳句十五)を掲載いたします。なお、投稿箱は内宮参集殿に置いてありますから、参
宮の節はご投稿下さい。
―神宮司庁弘報誌「瑞垣」十四年初夏号―』より。
 年間伊勢神宮参拝者は数百万人、献歌も万と行かなくとも千単位と思われる中での
五句に選ばれた事は奇跡に近いのでは、素直に有りのまゝに歌ったのが入選したので
はと、息子の光栄を褒めた次第。
 私方教会では例年大晦日夜は、迎春御神前お供えの若水取りに内宮宇治橋を渡り五
十鈴川お水汲みの年越参りを此処何十年と親子継承の中、今年は中学に上った孫の統
彦・照大の二人も徳彦・幸高と親子四人で寒夜連れ立ち初参加しましたが、其の折に
献歌して来たのが入選、此の程、伊勢の神宮司庁より得難い「伊勢の神宮カラー写真
集」のブックに添えて入選通知が郵送されて来ました。
 そして春には孫二人の中学進学を祝い、瑞々しい白木の香りに満ち満ちた新しく完
成の外宮神楽殿で、大神楽奉納一層の心身健康、学力向上を家族参拝祈念を致しまし
た次第。

   

☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A

Q1、修祓は何のために行うのですか。


A、 祭祀に当っては先ず心身が共に清浄でなければならないものです。この心身両
面の清浄を期し、一切の罪、穢を解除するために行うのが修祓です。従って修祓は凡
ゆる祭祀に於て決して欠くことの出来ない行事です。
 また、それは、単に、その祭りのために祭員や参拝者を祓うためのみではなく、人
間どんな人でもツミ・ケガレを犯しているという前提に立ってのことであります。不
完全な人間として人はツミを犯す生物です。神はそれをお認めになり祓い除く方法も
定めておられるのです。


Q2、天在諸神を祀り、なお、その中の一神を独立してお祀りしてもよいですか。

A、 天在諸神をお祀りしていることは、元首の神、人の一生の守神・大元の産須根
の神をお祀りしていることですから、一般的にはあえて、天在諸神の中の一神を独立
して祀る必要はないのですが、人各々の事情によっては神を敬う心と形を一体にする
等のため必要ならば、天在諸神の中の一神を独立してお祀りしてもよい事です。

     
雑記

遊歩 太郎

 夏は暑い。誰でも暑い。でも自分が一番暑いのではなかろうか。
 特にタンクトップやノースリーブ姿を見ると腹が立つほどである。いわんや肩むき
出しや、ヘソまでだしての淫らとも言える姿をみると、握った拳からは汗が落ち、後
ろ頭の毛が逆立ってくるのである。
 私は今、装束を付け御祈願の受付をしている。旅行安全祈願ということで母親と娘
であろう親子での参拝であり、母親が祈願申し込み書に住所や名前を書き込んでい
る。娘は大教殿に上がってきたのは初めての様子で立ったまま辺りを見回している。
 大教殿は高床に造られており、天井は一般の住宅の三倍は高い、少しの風があれば
内部は忽ち涼風が吹き抜け居心地最高となる。しかし、今日の状況は天気晴朗すぎて
風全く無しであり、大教殿の中はただの日陰となっていると言っても良い。ジッとし
ていても白衣の中で汗が流れているのがわかる。時々、参拝者から夏物の装束姿に
「涼しそうですね」などと声を掛けられるが、見た目だけであり白衣の中は汗・汗の
状態である。
 先ほどの親子を拝殿まで案内し、「こちらにお座りください」と声を掛け、私は式
殿に座った。祝詞は進み、やがて祓い行事で親子の方に体の向きを変えた。そこで私
の見たものは、母親の平伏の姿と、娘のあぐらをかいて私を直視している姿だった。
短パンとTシャツ姿の娘が私を見ている。思わず右手は幣棒から離れて前に伸び押さ
える動きをしながら「頭をさげなさい」と声が出てしまった。娘はハッとしながら浅
く頭を下げた。横の母親は平伏しているのに、なぜ真似も出来ないのか、お祓いに来
るのにそんな格好で…なんとも情けない。なるべく平常心を保とうとしていたのにバ
ランスがくずれ、クワーとなって内から熱くなってきた。これ以上出なくてよい汗が
また出てきた。玉串拝礼の時には動作の逐一に声を掛け作法通りに拝礼してもらっ
た。
 こんなことも解らないのか、と思うことが解らないのである。参拝時の服装や座り
方ひとつ、自分で決めてしまうのである。額に汗してグチるのは私だけであろうか。
神事は爽やかに平常心で執行したいものである。だから、せめて参拝される時には、
それなりの格好で来て下さいというのが私のお願いである。
 白衣袴姿というのは、人の目から見れば一種の清潔で清涼感を与えるものである。
だから襟元を大きく乱したり、腕まくりをしたりするのはイメージダウンと思ってい
る。だから暑くても白衣の中だけで汗を流しているのである。
 先ほどの親子を送り出し、この様な事を思っていると、コツコツと大教殿の上がり
口で音がした。そして、廊下から顔を出し「アノー、古いお札を持ってまいりまし
た」若い女性の声がした。答えてそこまで行くと、なんとハイヒールのまま上がって
来ているではないか。「下で靴をぬいでから…」と云うと「アレー」などと言いなが
ら、そのまま降りて行った。そこに私の草履があろうが、と怒鳴りたかったが我慢し
た。また汗が吹き出てきた。これ以上暑くしないで欲しい。
終り。

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