神理

平成14年6月号 第1060号

        

巻  頭  の こ と ば
私たちは、時間と共に一日を過ごしている。
時間に追われたり、追い越したりの生活である。
「天地万物は皆、神の賜物《たまもの》なり。
是《これ》をよく使用するは、人の道なり」(御教祖遺言)
時間も、神様から賜わったものである。
「人間の贅沢 《ぜいたく》は、時を空費《くう ひ》するが第一で、
倹約《けん やく》は時間を調節するが肝要である」(御教語)
今の今が大事なのである。


                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
    くに まも   みち         おの  み
   國を守る 道こそやがて 己が身を
   
         まも  みち    かよ                    
         守る道へと 通ひゆくらし    
  我々の生活には、家族・親族を始めとして、組織の一員という立場で進められてい
る側面があります。その組織には、市民・国民・民族・地球人など、やや組織めいた
ものまでを加えると、その広がりや繋がりは、極めて夥しく数えがたい事になりそう
であります。
 そうした組織との繋がりについては、疎遠のままで済まされるものや、自分の意志
で断ち切る事のできるものも少なくはないようであります。例えば、近来の我が国で
は、「親族」という繋がりについて、そうした傾向が強まっている、と申せる状況で
あります。
 しかしながら、社会が近代化するにつれて、逆に「市民」や「国民」については、
その繋がりを断ち切ることが次第に難しくなった、と申せそうであります。「市」や
「國」などの「公」を支える反面、その「公」がなければ、安全な「私」の生活は進
めがたいからであります。
 即ち、「公」の権益と「私」の権益との間の何処に線引きをするのか?が問題であ
り、この点についての考察や論究が、公私ともに不十分なままであったため、その線
引きの決着をめぐって、有事関連3法案や個人情報保護法案が論議を呼んでいる、と
いう事になっております。
 その線引きを誤れば、少人数の権益が認められる代わりに、大多数の国民が殺傷さ
れる事にもなりかねぬと思われます。そうした事態まで想定すれば、究極的には、日
本という國が壊滅しても良いのか否か?という最終的な判断が不可欠!という事にな
りそうであります。
 いわゆる識者の中には、それこれ予測して有事は生じ得ないと断言する人も見られ
ますが、予測し難い有事発生の可能性をも含め、予測可能な最悪状態の有事を想定
し、其の場合の「國」の対応と共に、「私」の耐乏の限界を確認しておくことが、極
めて肝要と考えられます。
 それこれの有事を予測した上、更にその対応策までを用意している人は、極めて少
ないと思われますが、この機会に、お互いとしても、国家の有事と共に、身辺の有事
なるものについての予測をも試みることにより、相応の困苦を伴う点への覚悟を固め
つつ、備えあれば憂いなし!という心境に、少しでも近づくことになりたいものであ
ります。
                                             

オノズの道

6月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

 

(しん)(しゅ)()(しょう)とその(かく)(もとい)

 

 昨年、九十六歳になる家内の祖母が入院している病院に見舞いに行きました。
 ちょうど昼食中で、アルツハイマー(老人性痴呆症)が進んでいる老人を含んでの食事の場に行き合わせました。
 看護の人たちが給仕と同時に自分の食事も行うという、見た目にも重労働を行っていました。
 一緒に食べることでスキンシップ(肌の触れ合い)が深められる、ということのようです。
 慣れるというか慣れようとしないと自分も食べることが出来ないでしょうに、そうした意欲を持ち、それを実行すること自体が驚きでした。
 それに加え、飾っている花の名前について話しかけたり、自分の親でもないのに残さずに食べるように手を添え、その手はこぼれた食事にまみれ体は汗まみれとなって尽くす姿は感動的でした。
 その病院は、高年齢社会の時代の流れに沿い
抑制廃止から 患者さんの満足度の向上へと段階を上げているということでした。

 院内新聞の
かがやきに、『感動した!』という題が目に付きました。
 その病院では、大変でも職員も一緒に食事をするということでしたが、最近は現場からの提案でお風呂にも一緒に入るそうです。
 それ以前は綺麗にしているつもりと、汚いという矛盾した思いが交錯していたようですが、実際に入ってみて気づいたことが多かったようです。
「思った以上に汚れていたり少量の汚物に気づくのは、一緒にお風呂に入って見て分かった、と同時に申し訳ないと感じ胸が痛みました。」とのスタッフの言葉に感動した、というものでした。

 また『寒いときに暖かくなる話』として、介護する側のローテーション(介護担当時間の交代)についての心意気について書かれていました。
 お正月やお盆は、家に帰る患者さんがいてローテーションが楽になる時期なのですが、そこでの逆転の発想というか考え方に心が暖まります。
 スタッフ(職員)には待ち遠しいはずのお正月やお盆の帰宅を、「お年寄りにとっては良くないよね」と言うのだそうです。その理由は、「お年寄りは暑さ寒さに弱いから、季節の良い春と秋のお彼岸にご先祖のお参りを兼ねて帰った方が良いのよね」だったそうです。
 お正月やお盆は、外泊で患者さんが一人でも少なくなれば介護のスタッフも楽なのに、患者さんを第一に考えるスタッフの心意気の素晴らしさを紹介して

いました。

 介護も与えるケア(手助け)から、共に感じるケアに変わりつつあるとのことです。
 そうした環境が整うと、私たちも老後という現実の問題に安心することが出来ます。
 それは家庭では親子の関係、社会では上司と部下、また会社と顧客との関係にも同じことが言えます。
 親子関係は親が子に衣食住や知識を与えるだけで満足するものではなく、子どもが心身共に育ち社会に役立つ人間となることを支援することで、親の心もまた成長し安心を得ます。
 上司と部下も、ただ命令を与えあるいは伝えて業務を執行するだけでなく、上司は部下の意識や技術の向上を支援し生活や精神状態の安定を心掛けることで、周囲の信頼を得て自分の仕事を見つけ達成の喜びを味わえます。
 会社や商店も、営業や店先で商品を売るだけではなく、その商品がいかに生活に役立つかを伝え、効率的な運用を支援することで、お客の感謝を得て自分の存在感や世に役立つ喜びを確信することで安心を得るのです。

 現代の、信仰の薄く多忙な生活の中で、私たちは仕事本来の喜びについて忘れ、冷たい機械のように無感動になっているように感じます。
 何故生かして頂いているのか、何故働かせて頂いているのか、という原点をも忘れるほど忙しく世知辛い世の中に私たちは生きているようです。
 自分や家族の生活のために働いているようでも、それは巡り巡って世のため人のためにもなっていることを、忘れないようにしたいものです。
 快楽のみを貪り求めるまでには至らなくとも、気が付けば効率という言葉に隠れて楽を求め、仕事や人に尽くすのに手を抜こうとしてはいないか。
 政治の世界でも改革とか抵抗勢力に対抗するとか言いながら、気が付けば自分が抵抗勢力になっていた、ということもあるようです。

 それは本教にも言えることで、古くて新しい神理教も神はいつも無垢でありながらも、その膝元にいる私たちそれぞれが常にその神に相通じる清々しい状態に保たれているか。
 例えば、天在諸神と御教祖の膝元にいる私たち大教庁職員や、教師を専業とする者は、仕事ではなく自分の時間を使っての信仰を行っているか。
 また例えば、未来委員会でもいろいろと自由な議論が出てとても活発なのですが、それでもまだ意識を含めて委員自身が委員会の存在意義を問う、など厳しい議論もあります。
 未来委員会・教師・教信徒を含め、内外の議論が良い意味で活発化することが望まれます。
 決して犠牲的な行動や無理をすることではありません。
 自分の仕事が世の中の役に立っているのならば、そこを意識してもう一歩進んでみよう、と熱中できることが楽しみとなり、神の思いに適うこととなるのです。
 そして、本教の中がいつも新しい進取の気性が優ることで、その気運によって社会生活と奉仕に貢献し役立てればと願うところです。

 社会的なつきあいのみでなく、家族の触れ合いさえ疎んじられる現代ですが、その大切さを自覚し行動に移せることが、常に進取の気性を維持する秘訣と言えます。
 そうしたことを忘れないために、家族や教会で励まし合い、お互いを見直し聞き直す場を大切にしなければなりません。
 普段軽視されがちな教会と家庭こそが、社会の核となる大切な場なのです。

 

        

         教  祖  の  道  統
     現代語化
      長崎教会 教会長 大教庁文化局長  花 岡 勝 成
「教祖の道統」は8章まであります。
 3章までをまとめており、希望者には実費で頒布致します。お問い合せは本院までご
 連絡ください。

第三章 教祖の人生観
 第四節 人生の帰着(結末)(7)
未来界・人の死後A月界(のつづき)
 古流の古はカキクケコと通いて気ということにて、流は安流という事のアを省きた
るにて、ココロ、コヒ、コモリ、コルなどと活ける言葉なり。
 モノというモはモトという言葉の反しにして、ノは先のナニヌネノに通えるネと言
えることなればモトネと云う事なり。
 さて都々岐《ツヅキ》という都は、水・露・地(都知)・月・都々久など活きて水
素の本言なり。
 岐は古母里《コモリ》の切りにて、都々岐というは即ち志米利古母流《シメリコモ
ル》ということなり。
都知となるというツは先程のツと同じ、チはタリ又トホリの約めにして、即ち水気
の通りたる意味なり。
 さて、その水気が通りてそれが固まりて寄り集まりたる、是即ち黄泉にして、その
土より水気ともの寄り凝りたるものにして、一つの久爾となりたるなり。
 しかし、これは始め大地の底に濁りの凝りたる処に附属しも遂にかく一つの界と分
かれたり。
 従ってこれはこの世界に近き処にある故に都岐と云う。
 是即ち黄泉の国にして水気の凝り止まりたる界にして世界に露など降らすことを司
り、又伊邪那美神おわしましては、天下の人に悪業をなす者をことごとく集め咎め玉
う処なるにより黄泉国と言う。】
又「本教皇道大網」に
【久方の空に見える此月球界を黄泉国また根国、底国、下津国とも稱え奉りけるが、
この月の本言は始め天地と二つに分かれ、その天の方には造化天神つき給い、地球に
は国之常立神(常と底とは同音なり)ありて鎮まり給い、天先ず成り地後に定まりた
るが、この地球より水素則ち物皆をトムル気、則ち津(ツ=水)したたりて、その一
つの濁り凝り(コリ=寄り固まる)止まりて一つの界を成したるなり。
 さて、この国之常立神は国の底に鎮まり給いしが自然とこの底に付いて、したたり
し処に添いて月の方に座をしめ鎮まり給いしなり。
 さて、その地球と月界の分け離れたる時を考えるに、伊邪那美大神、素戔鳴命が入
り給いし時でなく、それより遥か以前大国主神の往き坐せし時まで、この地球に付い
て切り離れずありたることは明らかである。 これは天孫降臨に先立ちたる世なるべ
し。
考えをめぐらすと、大国主神と申し奉る御名は生れながらにして、数代続いたのでは
ない。
 これは別に述べるが、この月界が切り離れて後に日月地球の三大界坐を定めけれど
も、この月界のみは今も地球より離れても近くに有りたるにより月という名を残せ
り。
 学会にて月は地球の属星なり、というのも地球に近い処にあるということなり。
 さて、この月界を根国ということの起こりは天地初めの時、日は葦芽の如く上に萌
え上り、地球は木の株の如く中に寄り、この月界はあの葦の根の如く下に凝り止まり
たるにより根の国とも底の国とも、下つ国(下のシはシリセリを約めたシにして、タ
はトドマリのリを省きトマの反しタなり)ともいう。
 この下津国という名は地球の下にしたゝり出来た故に名付けたる名なり。
 そうであるのに月界より地球をさして上津国とはいわない。
 又この月を指して黄泉というのは天に対する言葉にして、その初め地球則ちツタリ
(ツ=水・タリ=足り、水が足り満ちている)の底に水の気自然に凝り集まり一つの
界を成したる事は前にいいたるが如し。
 そのようなこの国には伊邪那伎大神おられ上津国(地球)に住める人という人、大
悪無道にして人の人たる道を知らない人の霊魂はいうも更、諸々の濁りに染みたる者
を悉く召し捕られるにより輿美というなり。 輿美という言葉の本言は輿古礼母知の
切りなり。
 さて、この地球界にて種々の罪過をなし真の法律を犯す時は、忽ちこの黄泉の神の
咎めあるにより頭を押されたる如く、足重く気ちぢむは天津神達の神議りごとより出
たることにして、大神達の押し(人を威圧する力)給うしるし。
 即ち、日々時々に善悪を分け、下津国にてその魂をいましめ、とり枯らし給うみし
るしなり。
 かくて、その人死ねば忽ちこの黄泉に召し捕り給いて罪などを取り枯らし給うこと
明らかなり。
 考えてみると、今の世で気絶したる人が蘇生(生き返る)したるをヨミカエルとい
うも祖先の守神なき人にて悪魔の為に悩まされ、悪病などになり気絶せし人にて再び
生き返るにより、ヨミヂガエリとはいうなり、黄泉より帰りたるということなり】
《訂正》
 前回P53 12行目の小見出しの ”日界“↓ ”月界“
***傍科生《ぼうか せい》・教修生による***

教祖墓前祭奉仕報告

 平成十四年春季大祭十六日の教祖墓前祭は、明治以降の二百二十三名の傍科生・教
修生の出身者により、第二回目として盛大に執行されました。
 傍科生・教修生というのは、一定の年月を決めて本院に寄宿し、本教の教義祭式を
学んだ者をいいます。
 傍科生・書生は戦前の呼び方で、戦後は教修生と呼ばれ、現在は奉仕生という時期
を経て教修生となります。
 当日は祭典に先立ち故人となられ、教祖の御元に帰られた先人・先輩諸先生に対し
て黙祷を捧げ、御冥福をお祈り致しました。
 祭典終了後、斎主を務められた郷原総監より次のような挨拶がありました。
『短い期間の呼びかけであったにも関わらず、多数傍科生・教修生の出身者、またそ
れ以外の方々からもご協力を頂いたことを感謝します。
 こうして沢山の熱意ある傍科生・教修生の出身者がおられる反面、教会・教師の実
務に就き働いている方ばかりではない現状が感じられます。
 それは、御教祖に対しても申し訳ないことです。
 私たちは今後この教修生の制度を活かしつつ、世のため人のために教えを活かす教
師が増えてゆくように努力しなければなりません』
 大祭終了後、管長様をお迎えし同窓会を催し、お互いの健康と今後の活躍を誓い、
また次の第三回の墓前祭奉仕を約束し閉会しました。
 今回の墓前祭に際し、ご理解ご協力頂きました皆様方へ紙面をお借りして御礼申し
上げます。

尚、左記に作詞・管長様、作曲・故佐藤充先生による傍科生の歌をご紹介します。

桜匂ひて陽に映ゆる
 豊国の教企救の里
明き希望に集へる我等
 あふるる若さに萌えて今
輝く神理四方に布く

霧も薄れて光刺す
 紫川の流れ絶えぬ水
清き理想を継ぎたる我等
 永久なる生命に生きて今
貫く神理四方に布く

風も冷く月氷る
 大嘗の麓草場丘
深き思索に凝りたる我等
雄々しき志に立ちて今
普く神理四方に布く
***みあかし祈願祭***
平成14年5月16日(木)
 五月十六日、教祖祭に引き続いて、年1回の「みあかし(身明し)祈願祭」が執り
行われました。
 祓いの方法には、水で流して清めるなどいろいろありますが、火を灯すのもその一
つです。
 みあかし祈願祭では、白・赤・黄・緑・紫の五色のロウソクに、それぞれの願いを
取り付けて火を灯し、身を清めます。ロウソクの色にも意味があって、病気の場合に
は、その色が体の部分を現します。白は肺臓・大腸・鼻など。赤は心臓・小腸・舌な
ど。黄は胃・脾臓・口など。緑は肝臓・胆のう・目など。そして紫は腎臓・膀胱・耳
などです。また、白は病気平癒、赤は良縁良職、黄は交通安全、緑は除災開運、紫は
学業成就というように祈願名が決まっています。
 ロウソクの明りといえば、御教祖の言霊学の中にも「明り」という言葉がよく出て
来ます。例えば「明りの入る」は「祈り」、「明り去り」は「悪し」などです。ま
た、御教祖は、「人の心の色は赤」と説いています。この「赤」は、ロウソクが燃え
る時の色と同じです。これらのことからも、「明り」は神様にも通じるもの、と言う
ことができるでしょう。
 ちなみに、申し込みのあったロウソクを一度に燃やすと、トタン屋根まで燃えてし
まうので、何回かに分けて火を灯します。(春の大祭に引き続き、この日の2日前に
も多くのロウソクに火を灯しました)。それでも、トタン屋根はちょくちょく取り替
えなければなりません
                

*** 第54回 夏期講習会のご案内 ***
本教の教義の探求・研鑽・祭式等の熟練を目的とします。
これからお道を学びたいと思っている方、そして経験豊かな方も、ぜひ受講して頂き
たくご案内申し上げます。
●日程  7月25日(木)〜28日(日)
●会費 30、000円。(25日の昼食から28日の昼食までと宿泊費含む)
    高校・中学生15、000円。
    小学生以下無料。
    日帰り20、000円。(期間前後の宿泊・食事は実費を御願いします。別途資料は実費必要)
*同封の、申し込み用紙に必要事項をご記入の上、大教庁へ郵送かFAXにてご送付下さい。
*費用は当日受付けます。当日の申し込みは 出来ません。
*携帯品は、白衣・袴・足袋・筆記用具・信徒の 祝詞・祭式教本・水行着など。
*教本・水行着などは、当日も頒布いたします。
お早めにお申し込み下さい。

TEL 093―962―4537
FAX 093―962―4634
神理教大教庁

〜青年部総会の御案内〜
青年部総会を開催致します。本年も夏期講習会期間中ですので、ぜひ講義も受けて頂
きたいと思います。
    … 記 …
日 時 平成14年7月27日
    総会は17時(受付けは随時大教庁)
会 場 明星会館4階
会 費 5000円(夕・朝食、宿泊込み)
 多数のご参加をお待ち致しております。尚、青年部に所属されてない教会に於いて
も、お申し込みを受けさせて頂きますので、ご一報下さい。
以上
青年部本部

神具のご案内
品番4-01
しんしゅびん
神酒瓶(対)
(大)10×18×10cm(3500円)
(中)9×16×9cm(2500円)
(小)7×12×7cm(1500円)

品番4-02
さかきたて
榊立(対)
(大)10×18×10cm(2500円)
(中)8×15×8cm(1500円)
(小)7×14×7cm(1000円)

品物に関するご注文・お問い合わせは
神理教本院
Tel : 093−962−4537
Fax : 093−962−4534
振込口座 01700−3−1995
神理教大教庁財務局

   

管長様 喜寿祝 祝賀掲載の御案内
日頃より神理教の為にご尽力頂き感謝しております。
さて、管長様におかれましては、この度めでたく喜寿を迎えられ益々ご壮健でいらっ
しゃいます。この慶びは私達全国教信徒の慶びであります。この慶事のしるしを「神
理雑誌」の祝賀掲載で表わしたく思います。
御家族全員でお祝い出来ます様に左記の如く御案内申し上げます。
祝賀掲載料
  お一人 1、000円 (高校生以下は500円)
ご家族全員でのお申し込みをお待ち致しております。
全国教信徒各位
神理教大教庁
教信徒各位

大祓について
 来る六月三十日、今年上半期における
大祓神事を執行致します。
   
 大祓とは、神代の昔、伊邪那岐命が黄泉の
国でお受けになった罪やけがれを洗い流そう
と、水を浴びて身体を清められたという故事
に由来します。
 日頃、私達が自覚しない間に罪やけがれに触れたり
染まっているのを、古神道の神事により祓い清めるも
のであります。
 自己を反省し慎みをもつて、清々しい日々をおくれ
ますよう、そして親神様の御導きによって心身健康・
家内安全であります様に願う神事であります。
「人形」・「車型」・「二輪」の形代に祈念を込めて、
お送り下さい。

                神理教本院

   

☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A

Q1、墓参りの時は、どのような祝詞を奏上すれば良いのですか。

A、 先ず、清祓を奏上し、次に祖霊拝礼詞を奏上し、最後に祈念詞を奏上すれば
丁寧で、祖先は喜ばれます。

Q2、御霊符を病気怪我の時に用いると聞きましたが、どのように使うのですか。

A、 御霊符によって多くの人々が、内外の難病を平癒し、安産などの御蔭をいた
だいております。
 神棚にお供えしている御神水と一緒に小さく折りたたんだ御霊符を頂き、或いは、
患部に貼り「教祖神守りたまえ幸いたまえ」と一心に祈念すれば、御霊験を授かるこ
とができます。
 ただし、1日に1枚または、2枚と自分で定めず、御霊験を戴くまで続けるという
気持で真心・決意を示して何枚でも頂くことです。

      

戻る