神理

平成14年5月号 第1059号

        

巻  頭  の こ と ば
神殿に向かって中央を正中という線が通っていて、
その線上を歩くことは禁じられている。
また、その正中を横切る時は軽く頭を下げながら
歩くように決められている。
これは本院や教会だけの決まりではない。
我が家でも同様である。
祭式は、神に対して敬う気持を表現したものであるが、
日常の生活の中にも祭式は必要である。
「神道の教えは、祭式の中にある」
神を敬い尊ぶ姿は、
生活の中でよりよく生かされる為にある


                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
                                かたじけ    おも   と
   しなやかに 忝なしと 思ひ取る
   
         ここ  か   ひか  そ                    
        心に神の 光り添ふらむ    
 春季大祭は、第一日めは降雨にもかかわらず、多くの参拝者で賑わいました。第二
日めは終日降雨という予報とは異なり、春の陽射しにも恵まれ、殊更に感謝の気持ち
が盛り上がる中で奉仕される事となり、実に有り難い大祭であったと感銘させられて
いる所であります。
 天気予報がはずれるのは、決して珍しいことではありませんし、その一例に過ぎぬ
という受け止め方は、寧ろ普通となっている様であります。しかし、天候に限らず、
事の成り行きが思わぬ好都合に恵まれた場合、有り難い!と感謝するのが自然本来の
人情かと思われます。
 事に追われ先を急がされる風潮の強まりと共に、そうした自然本来の人情が次第に
失われている様にも見受けられますし、それ故に本来の考え方や生き方が歪められ、
あってはならぬ非人情的で奇異な事件が多発し続けている、と申せるようにも考えら
れます。
 先月からは、公立小中学校での完全週5日制が実施される事になりましたが、従来
にも増して師弟間に緊張感のない教育が行われかねぬ点が懸念されます。緊張感を共
有する教育に欠けた結果、敬意や感謝に欠ける人格が形成された?とも考えられるか
らであります。
 尤も、こうした事は、教師と生徒との関係だけではなく、寧ろ親と子・社会と子供
という関係の中でこそ、用心されねばならぬ所と思われます。親や社会の姿勢に、敬
意や感謝が感じられぬ状態であった為、敬意や感謝に欠ける人格が形成された、とも
申せるからであります。
 換言すれば、我々自身の生活が、敬意や感謝に欠けるものであった為、見習って敬
意や感謝に欠ける人格が形成されたという事にもなる様でありますし、先ずは我が親
・我が祖先の御霊に心からなる敬意と感謝を捧げる日々が肝要、ということになると
考えられます。
 信仰は、生活に密著して具現実践されるべきものであります。御多端の中から今季
大祭に奉仕ご参拝されたのは、その信仰の具現実践そのものであり、改めて実に有り
難いことと感銘・感謝致しますと共に、日々の生活面においても、信仰の具現実践に
一そう心掛ける事により、共々に心ゆたかな時を多く戴くことになりたいものであり
ます。                
                                             

オノズの道

5月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)


戦争を知らない世代の生きる意欲

 先月号で、目的を持てず幽霊のようにさまよい歩く少年達の話をしましたが、どうしてそうしたことが目立つ世の中になったのでしょうか。
 筆者なりに非常におおざっぱですが、
ACEまた@BDFと世代を次のように(数字は世代順)分けてみました。
 フォークソングが流行った時代に
戦争を知らない子どもたちという歌が筆者の耳に残っていますが、その世代の人たちはまだ戦後の厳しい世の中を生き抜いてきたようです。
 その
A五十代後半から七十代前半の世代の方たちにとって、今は人生の充実期とも言えるでしょう。
 この世代の方たちは戦後の苦しい生活をくぐり抜け高度成長を支えながら、今の三十代前半未満の成人の世代を産み育ててきました。
 その戦後生まれの世代に育てられ、社会勉強が充実してくる
C三十代前半未満の成人の世代はどうでしょうか。
 社会への物心が付く頃は、好景気と不景気の波にもまれることがありながら、今は目の前の仕事に懸命のことと思われます。
 物質文明に子どもの頃から慣れている面では惑わされず、慣れすぎている面では依存する部分もあり、自然の厳しさや暖かみへの体験が比較的少ない世代かも知れません。
 戦前・戦中・戦後を生き抜き日本の存亡の危機の時代をくぐり抜けた、
@七十代後半以上の世代はどうでしょうか。
 大正期の比較的平穏な時代を経験しながらも、戦争という常に生と死の境を渡り歩くという緊迫した時代を過ごしながら、三十代後半から五十代前半の筆者達の世代を産み育ててきました。
 その戦中を過ごした世代に育てられ、今の社会を支えている
B三十代後半から五十代前半の世代はどうでしょうか。
 オイルショックなどの不況期もあったものの高度成長期を経験し、全体として倹約よりも消費を正しいとする風潮の中に育ちました。
 その筆者達の世代が産み育てている
D二十代前半未満の世代に、冒頭に述べたような目的が見えず幽霊のようにさまよい歩く青少年が、何%かの割合でいてそれが目立ってきています。
 そこで将来、先に述べた三十代前半未満の成人の世代が産み育てる
E十歳前後の世代や、筆者達の世代が育てている二十代前半未満の世代がFこれから産み育てる世代は、どんな社会を作るのでしょうか。
 どのような自己を築き上げるのでしょうか。
 筆者は、目的が見えず幽霊のようにさまよい歩く青少年の割合が、このままでは増え続けると思うのです。

 現代の日本は平和で医学も進歩し、生や死に触れたり考える機会が少なくなっています。
 三大疾病とかいわれ心臓や高血圧やガンなどと騒がれても、現代は死亡率が大幅に下がっています。
 一方の見方かも知れませんが、いわゆる
@の世代の人たちは、戦争・病気と常に死と向かい合っていたからこそ時間を大切にし、この時の思考を真剣に行ったのではないでしょうか。
 それは、そうした過去の歴史の厳しければ厳しい時代ほど、一瞬一瞬が大切にされて来たと言えます。
 生と死の境が目の前に在る環境に置かれれば、人は自然に真剣に生きるようになるようです。
 善悪や宗教的死生観は別にして、中東のイスラエルの兵士や自爆テロを行うパレスチナの人たちの真剣な生き方・時間の使い方は、私たちには想像もつかないでしょう。
 しかし、そこまで追い込まれなければ真剣に考えることが出来ないほど、私たち人間は低劣な生き物なのでしょうか。

 神から目的を持って命を与えられたと信じる私たちにとって、平和な世の中では生きるのに真剣味が薄れる、と思うことすら罪であると筆者は考えます。
 逆に考えると、平和と医学の進化を生かせない人間は、生きていながら屍となっている自分にも気が付かない、ことになります。
 人は平和な社会の中でこそ、自らが考え行動して生きる力を神から与えられていると信じます。
 その糧となるものは何でしょうか。
 それは家族の絆=親から与えられた愛情や楽しく過ごした思い出と安らぎや、祖父母からの慈しみから推察される先祖の守りへの信頼とも言える信仰です。
 それは例え幼くして親を失った人でも、理解のある親族や今の家族で取り戻せることですし、親を失われてもご先祖は居られるのです。
 次に自分の仕事や神前奉仕や社会奉仕を工夫し自分の思いを実現し熱中できることから、自分が社会に役立っていることの実感が味わえることです。
 これを目的として定めることが出来れば、それが達成できることへの期待を楽しみ、その目的に進んでいることに喜びを感じることが出来ます。
 目的が達成出来る出来ないは別にしても、この目的を意識できるだけでも充分にその糧となるのです。


 現代の六十歳はまだ死を意識するほど衰えていないこともあるのでしょうが、還暦になっても信仰をしないという風潮になった、と言われだしてもう十年以上になります。
 それはここでいう
@からAの五十代後半以降の世代のことでしょうし、そうなればその下の年代はどうなるのでしょうか。
 反対に
@Aの年代の大半は、長く続いた日本人と同じで信仰心の篤い人も多い、ということも聞きます。
 しかし、親から伝えられた習慣として信仰心は篤いのだけれど、自分の子どもに伝えることは少ないということです。
 それは、世界大戦の敗戦が精神的な打撃となり、無意識のうちに神頼みへのあきらめとなって、自分は信仰しても子どもには伝えなかったという分析です。
 神はただ頼み願うだけの存在ではないのに、敗戦というのは余程の衝撃だったのでしょうし、心の中の神の在り方が変質してきたのかもしれません。
 この分析が正しければ、ここが日本人のいわば無宗教時代への転換点ということになります。

 子どもに信仰を伝えることは、決して宗教の押しつけではなく、家族が一緒に神棚を通じてご先祖にご挨拶し感謝する気持ちが、ご先祖の守りを頂き生きている喜びを確かめるということになるのです。
 まず、ご自分の家から目的と神の理を噛みしめながら、祈りの時間を持たれることをお勧めします。
 ご自分、ご家庭から始まり、社会、ひいては日本がまた本来の信仰を取り戻せば、このような青少年は自然といなくなるのです。
  

        

         教  祖  の  道  統
   (29)
      現代語化
      長崎教会 教会長 大教庁文化局長  花 岡 勝 成
第三章 教祖の人生観
 第四節 人生の帰着(結末)(6)
未来界・人の死後@日界(のつづき)
 されば、此の酸宇牟というのは日なるべきものぞ。
 そして、その酸あるものの登りたるものの体(状態)は如何にというに、わが住む
地球にいささかも変わることなし。
 されども、此の日界中には天之御中主神ありて世界に有りと現れる温もりの元素を
治め給い、高皇産巣日神、神産巣日神の二柱も御身を隠しましけるにより、あの日の
本言を正すに布久美《フクミ》ということにて、その日界には温気と明気とを含みけ
るは、その元素の伎母知《キモチ》則ち神達のあればなり。
 此の気の移りけるを光という。その光という言葉の本言は日加々里《ヒカカリ》と
いう事なりける。
 さて此の天地開闢の時清めるものの登るという廼保留《ノボル》も奴日阿里《ヌヒ
アリ》という事にして、その、奴日あるものの体は即ち天なり。
 天は即ち阿加里母知《アカリモチ》にして日の本体、神霊のいます所にして、此の
日の性質はいと(最も)明らかに温気を含めるものぞ】
又「本教皇道大綱」に
【日輪界の事は天津国、又日の国或いは上国とも知らされたり。
 さて八百万と定めも知らぬその神界の中に、此の日輪界はもっともすぐれ上位たる
神界にして、
古事記に『国雅 如 浮 脂 久羅下那洲
 多陀用幣流時 如葦牙固萌勝物
而 成 神 名 宇麻志阿志詞備彦遅神
次天之常立神 云々』と記されたる。
 その由は日月を始め八百万神界はその始め、地球界とは、ひとまとまりである天之
御中主神、高皇産巣日神、神産巣日神の御功徳により、自然に天地と二つに分れたる
なり。
 さて、その分かれたるものの有り様を考えるに、その容貌葦牙の萌勝るが如く自然
にきれ離れ、水晶の国の如く火の気を含みて大空にかかり、現在もキラキラと見え渡
るを日界という。
 産巣日神が御座すによりてとなえたる名なり。
 さて、此の日界をさして阿免《アメ》というなり。
 此の日界に座す神を天津神と申し奉るなり。
 さてこの天(アメ)という事は天地はじまりの時に、かの清めるものは譲りて天と
なると記されたるその清めるものにして、空に立ちのぼりたるその様子をたとえる
に、袋ありてあの海上に浮いている雲の如くありしが、その中より火気(ヒケ)則ち
安加里《アカリ》がせりのぼりたるは風船を作るに等しく、袋の中に火気を含みての
ぼりたるのが此の日界にして、此の日気の中に造化の大神達はあり給いて、万物を生
み育てなし給うなり。
 さて最初の五神を別天神というは、この日気の中に入り給い、則ち此の日界に御座
在て、天下の人という人は言うも更森羅万象余さず漏らさず霊魂を賦与し善悪邪正を
ただし世の中の汚れたると、赤き(明き)とを選び分け給い清く明るい人の霊魂を天
上に召し上げ、是を褒め子孫に幸いを授げ清陽《スメル》ものを統て持ち給うにより
阿免《アメ》という。
  此の阿免という本言を正すと、阿加利母知《アカリモチ》ということにして、阿
加の約め利の省き母知の約め美となり免は美の転語なり。
 さて、天照皇大神は皇産巣日神を始め、諸々の天神達のその御功徳を統持ち天主と
成り給い、神明府を定め此の日界に御座在し大日靈貴(オオヒルメムチ)と稱え奉
り、八百万の神界は更、世に在りとあらゆる物皆を主宰し給うなり。
 是により世界に異ある時は、八百万の神界に御座在す八百万の主宰神を悉く天主天
照皇大神の御許に集め神議りに譲り給うなり。
 考えるに今も世界に異ある時は、天津日の国には天照大神の御許に諸々の天津神集
い給い、神議りに議り給いつる事は疑うべきにはあらざるなり。
 さて、千万の星も地球もすべて一様に日界の光明に照されればこそ清明なれ。 物
にある光(比加利)というその本言は日加々里というにして、加々里の加を約めたる
なり】
 良く考えると日界とは清陽なるものにして、神達のまします慮であるとの御観念の
外ならない。
未来界・人の死後A日界
 それでは黄泉即ち月界はどんなものであるかを述べよう。
「皇典疑惑問答」に、
【黄泉の性質はどうにも定め難きけれど名によりて考えるに、月ということは都古母
流《
ツコモル》という意味にして、都は則ち水素の本言なり。
 それは天地開闢の時に「重濁者奄滞而為地」とありこれを以て知るべし。
 そもそも於母久《オモク》の於は宇布古《ウフコ》の切り、母は母止の反し、久は
古母流の切りなり。
 ニゴルという爾は、ナニヌネノと親しく通える音にて禰と云う事なり。

 古流の古はカキクケコと通いて気ということにて、流は安流という事のアを省きた
るにて、ココロ、コヒ、コモリ、コルなどと活ける言葉なり。
 モノと云うモはモトと云う言葉の反しにして、ノは先のナニヌネノに通えるネと言
えることなればモトネと云う事なり。さて都々岐《ツヅキ》と云う都は、水、露、地
(都知j、月、都々久など活きて水素の本言なり。岐は古母里《コモリ》の切りに
て、都々岐と云うは即ち志米利古母流《シメリコモル》と云うことなり。都知(ツ
チ)となると云うツは先程のツと同じ、チはタリ又トホリの約めにして、即ち水気の
通りたる意味なり。さて、その水気が通りてそれが固まりて寄り集まりたる是即ち黄
泉にして、その土より水気ともの寄り凝りたるものにして、一つの久爾(クニ)とな
りたるなり。しかし、これは始め大地の底に濁りの凝りたる処に附属しも遂にかく一
つの界と分かれたり、従ってこれはこの世界に近き処にある故に都岐と云う。是即ち
黄泉の国にして水気の凝り止まりたる界にして世界に露など降らすことを司り、又伊
邪那美神おわしましては天下の人に悪業をなす者をことごとく集め咎め玉う處なるに
より黄泉国と言う】
又「本教皇道大網」に
【久方の空に見える此月球界を黄泉国また根国、底国、下津国とも稱え奉りけるが、
この月の本言は始め天地と二つに分かれ、その天の方には造化天神つき給い、地球に
は 国之常立神(常と底とは同音なり)ありて鎮まり給い、天先ず成り地後に定まり
たるが、この地球より水素則ち物皆をトムル気、 則ち津(ツ=水)したたりて、そ
の一つの濁り凝り(コリ=寄り固まる)止まりて一つの界を成したるなり。
 さて、この国之常立神は国の底に鎮まり給いしが自然とこの底に付いて、したたり
し処に添いて月の方に座をしめ鎮まり給いしなり。
さて、その地球と月界の分け離れたる時を孝えるに、伊邪那美神、素戔鳴命が入り給
いし時でなく、それより遥か以前大国主神の往き坐せし時まで、この地球に付いて切
り離れずありたることは明らかである。これは天孫降臨に先立ちたる世なるべし。
考えをめぐらすと、大国主神と申し奉る御名は生れながらにして、教代続いたのでは
ない。これは別に述べるが、この月界が切り離れて後に日月地球の三大界坐を定めけ
れども、この月界のみは今も地球より離れても近くに有りたるにより月(ツキ)と云
う名を残せり、学会にて月は地球の属星なりと言うのも地球に近い処にあると言うこ
となり。
さて、この月界を根国と言うことの起こりは天地初めの時、日は葦芽(アシカビ)の
如く上に萌ゑ上り(モエアガリ)、地球は木の株の如く中により、この月界はあの葦
の根の如く下に凝り止まりたるにより根の国とも底の国とも、下つ国(下のシはシリ
セリを約めたシにして、タはトドマリのリを省きトマのの反しタなり)とも言う。こ
の下津国と言う名は地球の下にしたゝり出来た故に名付けたる名なり。そうであるの
に月界より地球をさして上津国とは言わない。又この月を指して黄泉と言うのは天に
対する言葉にして、その初め地球則ちツタリの底に水の気自然に凝り集まり一つの界
を成したる事は前に云いたるが如し、そのようなこの国には伊邪那美神おられ上津国
(地球)に住める人と言う人、大悪無道にして人の人たる道を知らない人の霊根は云
うも更、諸々の濁りに染みたる者を悉く召し捕られるにより輿美(ヨミ)と云うな
り。輿美と音う言葉の本言は輿古礼母知(ヨゴレモチ)の切りなり。
さて、この地球界にて種々の罪過をなし真の法律を犯す時は、忽ちこの黄泉の神の咎
めあるにより頭を押されたる如く、足重く気ちぢむは天津神達の神議りごとより出た
ることにして、大神達の押し(人を威圧する力)給うしるし、即ち、日々時々に善悪
を分け、下津国にてその魂をいましめ、とり枯らし給うみしるしなり。かくて、その
人死ねれば忽ちこの黄泉に召し捕り給いて罪などを取り枯らし給うこと明らかなり。
        
*** 幸彦社献歌 ***

幸彦社の前で皆さんから寄せられた和歌を詠み上げる
巫部局長

 四月二十二日(月)午後一時から、幸彦社で献歌祭が行われました。
 幸彦社は地元蒲生八幡神社の中にあり、教祖神が師と仰ぐ西田直養翁を自らの手で
祭祀した社です。
 直養翁は小倉藩士で、今も歌神さまとあがめられています。三十六歳の時に勘定奉
行に進み、のちに町奉行近習番頭などを勤め、藩に重用されていました。江戸や京
都、大阪への長期出張も多く、各地の学者と交流を深めたのち本居大平(おおひら)
の門下となり、国学を修めました。また、書画や音楽、演劇にも興味を持ち、儒学や
歌学を学び、和歌をよくしました。慶応元年に七十三歳で没。多芸多才でおおらかな
性格が多くの人に親しまれたといいます。 
 そんな直養翁にちなみ、毎年、幸彦社への参詣と共に献歌が続けられています。
 今年の題は「春」。今年も、皆さんがいろいろな思いを和歌に託して下さいまし
た。献歌は六月号で紹介します。
 ちなみに、いつもは献歌祭が終わって直会があるのに、なぜか今年は残念なことに
ありませんでした。
*** 参道市の御礼と報告 ***

 お蔭様で、とても良いお天気に恵まれました。
 9時からの出店者の受付けをはじめる30分前に、
「今日のフリーマーケットは、何処であるの」と50歳代の奥さんに聞かれました。
「ここで、10時からなんですけど」と答えると、
「えっ待ち合わせしているのよ」と言われました。
 この来客の第一声が、SANDOU市を楽しみにしていた人が多くいたことを象徴
していたと今、思います。
 出店者の準備がほどほどに整った頃から、お昼の1時過ぎまで、神理会館前と園庭
前の参道の階段を、上り下りする人の流れが続き、お昼頃には、持ってきた商品が売
り切れて、早々に閉店したところもありました。
 出店がはじめての家族・いろんな会場で出店している人・学生・趣味の手づくり品
を売る園児のお母さん・若い夫婦、子どもが社会人になり大学で一人暮らしをしてい
たときの家電などをリサイクルで出店・新鮮野菜をもってきた50歳代のお母さん
と、出店者も様々でした。
 神理教大教庁のご協力により1週間前から看板設置。
 そして、周辺のお店約50店舗にSANDOU市の案内を貼って頂きました。あり
がとうございました。
 お蔭様で案内が行き届き、SANDOU市第1回にしては、多くの方が来られ、出
店者は楽しみ、来られた方は、たくさんの手荷物を自転車や車につんで、よろこんで
いかれました。
 楽しく、賑やかな交流ができました。
 普段、参道に来られない方も、多く来られたようです。
 近くの老人施設から集団でお買い物、園庭で休憩しながら、春の陽気と賑やかさを
楽しんでいるお年寄りのやさしい目と微笑を浮かべる口元が、思い出されます。
 また、
「神理会館に入って見ていいですか」と男性が神理会館に来られました。
「私は、若松から来たんだ、自分も神道なんだけど、一度神理教に来てみたかったん
です。このようなことがないと、なかなか来るきっかけがないので良かったよ」と意
外な来場者もいらっしゃいました。
 お買い物の来客や出店者など多くの人から、
「今度いつあるの」と次回の6月15日、開催予定を聞かれました。
 また、多くの地域の方と楽しい交流市、SANDOU市を行いたいと思います。
 多くの方の出会いとご協力に感謝をいたします。
 ありがとうございました。
人とき倶楽部 吉田 文子                      

*** 中部ブロック研修会 ***

橘 田 俊 祐

 16日は2時間30分間、教師の祭式作法。立礼による献、撤饌、座礼による祓行
事、座礼による祝詞後取り自座渡しの研修を受けました。各後取りは自分が実行の為
だけでなく、今後指導が出来るよう身に付けて欲しいとの事で、瀬戸局長の厳しい研
修に汗を流しながら、それでも楽しく研修していただきました。
 17日は総務局長が御教祖の歴史、日々の信仰に就いて。瀬戸局長の祭祀、神理学
の研修内容でした。
 当教会では教信徒18名の参加で、全員が分かり易く有意義な講義内容で非常に勉
強になったと声をかけて帰って行かれました。
 今回から体験談発表があり、中でも三重県教務所長がお話しされた身近な話しが分
り易く、寒い日でしたので暖たかい服装で出席の予定が、朝拝式を終えてから変更し
て正装に変え出席したら、講師が正装であり、初めの服装では大きな恥をかく所でし
たが神様が変えて下さいました。又祭祀の本義の講義で容姿を整えの部分があり、祭
礼では教師には定められた容姿がありますが、大祭事の参拝には背広ぐらいは着用す
るようにと教えられました。又先人の教えだがと云われ「一人導けば、一人の先生」
と教えられ、「どんな気楽な会話の中でも一言でよいから神様の話を入れよ」、これ
が北勢教会開祖の教えである事、又経験豊かな人の話には得る所がたくさんあるか
ら、良い所を聞き取るようにと教えていただきました。
 ブロック研修会は本院での講習会では費用がかさんで参加が大変ですので、地方の
方々が一人でも多く参加でき、真の正しい神理教の教えを身に付けて、日常生活に活
かしていただくと云う、大元、大教庁の願いであります。今後の開催には教師は勿
論、教徒信徒の方々も是非、自分の資質の向上の為、御参加される事を願っていま
す。
 最後に当ブロック研修会は会場の都合で、御教祖の生誕祭の日と重なり、両局長に
ご迷惑をお掛け致しました。今後はそうした事がないよう開催されると思います。次
の開催をお待ちしています。

   

境内紹介(音楽付き)のCDロム プレゼントのお知らせ

いつも特に技術・物質面でご奉仕頂いている北勢教会の堤さんから、皆様へ贈り物です。
神理雑誌を購読されている皆様へ、先着10名様、境内紹介(音楽付き)のCDロム
を差し上げます。

CDロムが装備されているパソコンをお持ちの方は、FAXにてお申し込み下さい。
内容は境内の写真と同時に流れる、神理教や巫女舞の歌です。CDロムを入れるだけ
で動きだし、最初の画面の説明通りに操作すれば、音楽と共に沢山の境内の写真が見
られます。例えば教会での祭や勉強会の合間に、お見せ頂くのはいかがでしょうか。
とてもリラックス出来るのではと思いますし、本当に良くできています。
先着10名とします!無料(堤さんのご奉仕)で、送料は雑誌社が負担(100円前
後ですからご心配なく)します。全て点検済みだそうですが、動作や音質については
保証の限りではありません。都合の悪いものが在れば、早めに連絡頂ければ交換します。
【お申し込み方法】
住所(〒)・氏名・電話番号・所属する教会が在れば教会名を右の番号へ FAX番
号 093−962−4634
まだメールマガジン(無料)に未加入の方は、この機会に是非どうぞ。 
snr@try-net.or.jp

   

☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A

Q1、本教の教師になるには如何なる手続や手順が必要ですか。

A、 地方の教会の門人となり、毎年本院で行われる夏期講習会を受講して、祭式、
作法及び、神理を学び、各教会長を通じて、本院に教師補命の申請をして教師を拝命
される方法と、直接、本院の門戸を叩いて、種々指導を受けて、教師を拝命される方
法があります。

Q2、本教の教会を設立したいが、特別な取り決めや資格が必要でしょうか。

A、 教会主管者は権少講義以上の教師が就任することに定められています。
 教会は建物の大小等形体にとらわれるものではないので、先ず管長の認可を受けて
教会という格式を授かり、信者が増えれば格式を整えて信者の増加をはかり、こうし
た両面からの努力が必要です。教会には教会としての神が働きます。尚、半年毎に教
会教費金の納入が必要です。    

戻る