巻 頭 の こ と ば |
家の柱はしっかりと頑丈な方がよい。 心の柱も同じである方が良いのであるが、 心は日々時々に変化をする。 特に辛い事や悲しい事があった時、 その頼るすべを忘れてしまう。 そんな時、神様の前に座る。 きっと、心の柱を思い出させてくれる。 きっと、まっすぐ清めてくれる。 我が家の神殿は我が家の本院と思って下さい。 しっかりと頑丈な、頼るべき柱がそこにはあります。 |
かんなぎべ たけひこ 神理教管長 巫部 健彦 はぢ し こころ かみ こころ 恥 を 知 る 心 を 神 の 心 ぞ と をが とき も つ つ し み 拝 む 時 を 持 た ま し 三寒四温という言葉があります。お陰で寒さへの抵抗力が何時となく備わる等、春 夏秋冬の巡りに順応する体調が
作られる訳であり、恵まれた風土への理解と感謝から 生まれた言葉!の様にも感じさせられる中で、徐々に暖かさ
が加わり春季大祭の四月を迎える事となりました。
そうした大自然の推移とは異なり、お互いの日常生活は、周辺をも含めて厳しさから抜け出せぬ状況が続いており
ます。リストラ・合併・倒産・解雇・総離職などが日 常化する中で、大手有名会社の食肉偽装や、機に乗じた国会議
員の暗躍発覚も見られる始末であります。
貧すれば貪す!という言葉が思い合わされますが、以前の豊かさに較べ貧しくなった…とは言えるにしても、恥も外
聞も考えず貪りに執心せねばならぬほどの状況とは考えがたく、相応に辛抱努力すれば自滅を招かずに済む立場の
ものが多い、と申せそうに見受けられます。
この様な不祥事の根底には、『恥』という感覚の減退や欠落があるように思われます。いわゆる戦前には、自分と
親・家・村などとの繋がりが強く意識され、自分の『恥』と共に、その『恥』を繋がりの深い関係者に及ぼさぬ心掛けが、
受け継がれていた様に思われます。
核家族化その他による社会環境の変化が、「恥の掻き捨て」の黙過される隙間を広げることになった点も要因かと
思われますが、その「恥の掻き捨て」は一時しのぎのものであり、従って嫌悪・忌避・疎外・自滅という現状を招いてい
る、と申せる様に考えられます。
尤も、『恥』を感じながら、知るは一時の恥!として、充実向上を目指す姿勢は、寧ろ好感を招く所でありますし、多く
の人々に役立つために『恥』を承知の上で挺身する姿勢も、共感を呼ぶ所であり、要するに『恥』の感覚を失わぬ事が
肝要!とすべきであります。
環境の相違により、対応にも相違が生じますものの、「神の子」という信仰をもつ者としては、その「神の子」に相応し
からぬ行為を『恥』とする視点から、行動の是非を判断する事も忘れてはならぬ所と考えます。そうした点からも、お互
いとしては、大祭への参加・参拝・奉仕により、「神の子」としての有るべき姿勢を、再確認いたしたいものであります。
1 2回目は、 こうした シンナーで すると、その 「この じゃあ その あの その この まず そうなると、 私たちはつい 『その そうすれば、きっと こちらから |
教祖の道統(28) 現代語化 長崎教会教会長 大教庁文化局長 花 岡 勝 成 第三章 教祖の人生観 第四節 人生の帰着(結末)(5) 人が現世で正しい進歩向上に努める訳又「産須根神考」に【さて現世にて人の人たる人の道をつくせし人の霊は善《興古禮 佐里=ヨゴレサリ》とほめさせ、天神の御元に召し寄せ復命(報告)を聞こし、幸魂を日の若宮に止ど め、荒魂は墓所に鎮め させ、和魂は彼の産須根大神の宮に昇殿し、奇魂は奇しく別れてその氏の子孫の家にも 身にも付き副い、夜の守り日の守 りに守り給い、上行けば上を守り、下行けば下を守りつねに守り賜う(中略)、そうであるから、もし人の人たる道に背きたる 者は悪《阿加里佐里=アカリサリ》と言って清明神(アカリモチカミ)とはならず、黄泉(ヨミ=ヨゴレモチ)の国に繋ぎとめられる により産須根の神位に登ることを得ず己が子孫を守護るべき自由を得ざるなり】故に「神理教典霊魂帰着」の章に【教祖が言 われるには、現世において善を積む者は幽界にて神となり、裔(エイ=末の子孫まで)まで守ること子を養うが如し、耳孫(ジソ ン=孫の孫。遠孫の意)自ら繁栄す。 現世にて悪を積む者は幽界にて妖魔となり、裔を苦しむること子を棄てるが如し、苗裔(ビョウエイ=遠い血統の子孫)自ら 衰え滅亡す】と教えられています。 返り見るに霊魂不滅(幽世にて神となり子孫を守る働きが出来る事)のもとは現世的であって、人間が日常生活の中で正し い進歩向上に努めようとするのは、この霊魂不滅を求めている訳です。 この要求を満たす為に活動し進歩向上を計り、悪を憎み積善につとめて永久の存在者(不滅なる霊魂)となって、親愛なる 子孫を愛すると言うもので、この行為が昔から名を重んじる事が習慣となっているのです。 霊魂不滅の要因(現世の徳・偉勲・功業)よく祝詞に出てくる「家の名を落とさず、氏の名を汚さず」と言うのは、この道理の表 れで、ひいては忠孝(ちゅうこう=忠義と孝行)勇武(ゆうぶ=勇ましく強いこと)慈 愛(じあい=慈しみ愛すること)等の諸徳と なるものであり、これ等の諸徳に優れた者が肉体は亡びても霊魂は永久不滅の神霊となって、生きている時と同様に認めら れているのです。 あの和気清麻呂(わけのきよまろ=奈良時代の公卿 。桓武天皇に仕え平安遷都や水利事業の尽力者)楠公(なんこう=楠 木正成)の私心を交えない純粋な忠義は明らかであり、生きているように神霊となって、今も精神面の指導の中心人物になっ ています。 又大石良雄(江戸中期、赤穂浪士の頭領)のように、死に対しては動じることなく只義士としての本分を心残りなく果たした為 に、その霊は永久に生きて、その名実ははっきりと義士たる者の手本となっています。 この様に後世の子孫の思想中に生きようとするには、後の世の人が忘れる事の出来ないほどの進歩向上、つまり優れた手柄 や功績を建てる事が必要ですが、これは「第二節 人格の意義」で述べた、イキモチの量の高下と同様な意味と一致するのです。 こうした現世での発展向上は霊魂の不滅となり、その霊魂は神界に昇り神位につき、子孫を守る守護神となる信仰となって、 ここに祖先崇拝が起こり、墓や霊詞(霊祭や祝詞)と言うものが伝わって、霊魂不滅性の表現を助長するものです。 これが大昔より伝わり来た日本人の思想であり、神道の生命と言えます。 従って、霊の不滅と言う事は現世の生活上に於ける目標の極致であり、未来の事は第二となるのです。 勿論、死して初めて神格となって神位に昇り、親愛なる耳孫を現世において愛撫する如く愛するという未来観が伴って初めて、 霊の不滅を信じる事が出来るのです。 しかし、現世生活の中で善事を積んで初めて、幽世に於ての霊の不滅が成立する訳ですから、未来(幽世)に於ての霊の不滅 を成立させる為の基礎となるものは、現世生活での『善事を積む』という要求(目標)です。 それが段々と極度に達して人格は不滅なりと信じ、霊魂存在を認めて未来観の起源となるものです。 未来界・人の死後@日界すでに人格の不滅を信じ霊の存在を認めた以上、その霊は人の死後どこに帰着するのだろうかという、 未来界に対する考えが起こるのは当然です。そこで、その未来界に対する事に付いて研究しましょう。 人が死してその霊は現世において善をなしたる者は日界に帰り、悪をなした者は黄泉に堕ち入るということは、前に教祖の御著 書を引証して述べましたが、その日界とはどんなものか教祖は「皇典疑惑問答」に【天津日(日界)の性質のことは、あれこれと論 じ奉るとも更に是ぞと極め果てるまではいかないけれど、先ず天地開闢のその様を考え奉るに、清めるものは騰りて天となりたり。 そもそも此の須免留《スメル》ものというその須免留の言葉の本言を正すに、須は酸素にして、 免留の切り牟なり。 牟は宇牟《産む》の字を省きたる言葉にして、酸宇牟《スウム》ということなり。 酸宇牟というのは即ち日の国(日界)なり、かくて 此の日のある処を空と言うも、酸阿利《スアリ》という事にして、即ち酸宇牟の有りというにて日の有りという意味なり。 |
春の祖霊祭 三月二十一日(祝)十一時より 春分の日の三月二十一日、大教殿で春の祖霊祭が開催されました。彼岸とは「日願」からきたものといわれています。「日」すなわ ち神に先祖の浄化をお祈りし、子孫を守る力を乞願奉ったものです。 この日は風が強く、あいにくの小雨模様でしたが、家族連れをはじめ大勢の皆さんが参拝に訪れました。今回から試験的に行われ た、参拝者全員による立ったままの玉串拝礼もスムーズに進み、この頃には天気も回復。雨は止んで、小鳥のさえずりが聞こえてく るようになりました。 続いて、瀬戸教正がお墓参りにまつわる自らの体験談を交えながら、次のような講話を行いました。 「自分だけで今があるわけではありません。私たちには先祖があり、子孫があります。お墓参りは、自分の先祖を確認することであ り、拝むことによって、先祖を思い出すことができます。生きている、それもおかげ。暮らしている、それもおかげ。 『有難や 今日も 異なく暮らしたり 神の御蔭の 尊きろかも(教祖御歌)』 この意識が、今、一番足りないのではないでしょうか。皆さんも、自分の家の神殿 を大教殿と思って、拝んで(頭を下げて)下さい。 そうすれば、ますます神格が上がり、御霊のあの世での位も上がっていきます。」 祖霊祭終了後、神理会館に場所を移し、直会が開催されました。 |
御案内 四月十五日・十六日 神理教本院 春季大祭日程 15日 (月) 7時 献饌式 大教殿 10時 造化宮例大祭 10時 大元稲荷神社例大祭 13時 本殿祭 大教殿 15時 撤饌式 大教殿 16日 (火) 7時 献饌式 大教殿 10時 教祖墓前祭 教修生出身者 12時半 教話(三角康正教正) 13時 本殿祭 大教殿 15時 撤饌式 大教殿 教祖祭 教祖殿 (都合により変更の場合あり) |
今月号は、お休みです。
次号にご期待下さい。 |