神理

平成14年3月号
       第1057号

        

***** 巻 頭 の こ と ば *****

地図を広げましょう。北九州市はどの方向ですか。
家族そろって整列して、家から本院の方向に向いて拝みましょう。
そして次は、お墓の方向を向いて拝みましょう
家族そろって礼をし、拍手をし、礼をする。作法もきちんとしましょう。
神様・先祖に対し、感謝の気持を伝えましょう
「応対の丁寧なるは美なり」との教えのように礼を尽くしましょう。
御教祖の遺言状に「報本反始は礼の本なり」と説かれております。
本に報い始めに返る。すなわち、神や先祖の恩に報いるということです。
全て、拝礼から始ります。


                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
      ひと       か ひ      みち  えら 
   人のため 甲斐ある道を 選びなば
             ゆく て  ひら     ふ      なづ 
          行方開けて 踏みや泥まじ
 
 
 高支持率を保持し続けて来た小泉内閣が、外相更迭により一挙にその30%近くを失墜、いわゆる
内外の抵抗勢力を勢いづかせている様であります。願わくは、国民の期待に応えた政策を具現しつ
つ、国民の期待感を増幅する歩みを進めてもらいたいものであります。

 それにしても、露呈された元外相と外務官僚と国会議員との三角関係?には、元外相の蛮勇に驚嘆
すると共に、誰もが呆れはてた事かと思われます。反面、陋習に歪められながらも良くぞ大過なく済ん
だもの!との感慨も、共有して切なる所かと思われます。

 持ちつ持たれつ!という俗言が思い合わされます。これは、助けたり助けられたりするという共存の実
態を示すものであり、個人としては、周囲の人々から助けられている事を自覚し、周囲の人々に役立つ
生き方に心掛けるべし!と受け止めねばならぬものであります。

 しかしながら、元外相と外務官僚とは、その自覚と心掛けに欠けるものがあり、外務官僚と国会議員
とは、責務として国民という多くの人々に役立つべき立場にありながら、その自覚と心掛けとが、優先し
て相互の権益の保全に傾注したという事になるようであります。

 それこれ考え合わせますと、現実的には、特定の個人との関係は避けがたい所という事になりそうで
すが、それにしても、その特定の個人との「持ちつ持たれつ」関係には、危険が潜んでいるとする認識が
不可欠であり、相応の用心も肝要とせねばならぬようであります。

 これは、家族関係という場でも、重ね合わせて用心せねばならぬ所であります。周囲の人々から助け
られている事を見逃し、周囲の人々に役立つ事を怠り、ただ狭い視野で平穏な家庭を心掛けているだけ
では、思いがけぬ危害に襲われ兼ねぬという事であります。

 仮にお互いが、周囲の人々への心遣いに努力すれば、周辺での犯罪を阻止し、暮らしの安全を増幅
できるに相違ないと考えられます。見知らぬ人々とも「持ちつ持たれつ」の関係にある点へまで思い及べ
ば、異常な殺傷も抑制されるものと思われます。お互いとしては、そうした関連にも考え及びながら、平
穏な家庭の構築に心掛けたいものであります。
  
                                             

オノズの道

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

メールマガジン(電子郵便雑誌2)

 

小泉(こいずみ)首相(しゅしょう)のメールマガジンから、(まな)びの三つの効用(こうよう)

1.若年(じゃくねん)して(まな)べば、壮年(そうねん)になって()(ため)人の(ため)に、(やく)に立つ人間になる。
2.壮年(そうねん)にして(まな)べば、老年(ろうねん)になっ(おとろ)えず、若々(わかわか)しくしていられる。
3.老年(ろうねん)にして(まな)べば、()んでもその精神(せいしん)(くさ)らず、永遠(えいえん)(のこ)る。と、言志四録(げんししろく)幕末(ばくまつ)儒学者(じゅがくしゃ)佐藤(さとう)一斎(いっさい)一説(いっせつ)三学戒(さんがくかい)紹介(しょうかい)した時に、神理(おし)のメールマガジンの読者(どくしゃ)から、次のような返信(へんしん)がありました。

『私は(いま)若輩者(じゃくはいしゃ)ですが、(すこ)しずつ(とし)()っていきますと、失敗(しっぱい)()(かえ)しながら経験(けいけん)()むことを()りました。

 また、いろいろな角度(かくど)から()たり()いたりして、(なに)(ただ)しいのか判断(はんだん)をして(一時期(いちじき)のことに(まど)わされることなく)行動(こうどう)することにより“(ねん)(りん)(きざ)(こと)大切(たいせつ)である”と(かんが)えるようになりました。

 この(ねん)(りん)とは、(ひと)(おも)いやる気持(きも)ち・自然(しぜん)(あい)する気持(きも)ち・道徳心(どうとくしん)(まも)(こと)(ひと)としてしなければならない(こと)(ぎゃく)にしてはいけない(こと)また損得(そんとく)勘定(かんじょう)行動(こうどう)()こすのではなく奉仕(ほうし)をする気持(きも)(など)で、(すべ)てが勉強(べんきょう)(おも)います。

(じん)(せい)(まな)ぶことの連続(れんぞく)だ」と総理(そうり)()われるのは奉仕(ほうし)勉強(べんきょう)(すべ)てという(かんが)(かた)を、ズバリと()()てていると(おも)います。

 実際(じっさい)には、気持(きも)ちでは(わか)っていても行動(こうどう)(ともな)わないこと、が日々(ひび)(なか)には多々(たた)ありはがゆい気持(きも)ちもあります。

 たった(いま)(いのち)(いただ)いているこの時間(じかん)二度と(もど)ることができないこの時間(じかん)無駄(むだ)にしないように頑張(がんば)りたいと(おも)います』でした。これに(たい)し、編集(へんしゅう)よりなんと()っても、(いま)一瞬(いっしゅん)いっしゅんが大切(たいせつ)なのですね。

(いま)神代(かみよ)(おも)え”と(おし)える神道(しんとう)(まも)(ひと)が、このような心持(こころも)ちが出来(でき)るのだと(おも)います。

そこで(いま)、この(かた)()きな(ことば)紹介(しょうかい)します>

感謝(かんしゃ)(ことば)

(なつ)()(ふゆ)がいいという、冬になると夏がいいという。

 (ふと)とやせたいという、やせると太りたいという。

 (いそが)しいと(ひま)になりたいといい、閑になると忙しいほうがいいという。

 自分(じぶん)都合(つごう)のいい(ひと)()(ひと)だとほめ、自分(じぶん)に都合が(わる)くなると悪い(ひと)だとけなす。

 ()りた(かさ)も、(あめ)があがれば邪魔(じゃま)となる。

 (きん)()(ふる)びた女房(にょうぼう)が邪魔になるり、()(たい)()てば(おや)さえも邪魔になる。

 衣食住(いしょくじゅう)(むかし)(くら)べりゃ天国(てんごく)だが、(うえ)()不平(ふへい)不満(ふまん)()けくれ、(となり)(なが)めて愚痴(ぐち)ばかり。

 どうして自分(じぶん)()つめないのか、(しず)かに(かんが)えてみるがよい。

 一体(いったい)自分(じぶん)とは(なに)なのか、(おや)のお(かげ)先生(せんせい)のお陰、()(けん)さまのお陰。

 お陰のかたまりが自分(じぶん)ではないか。

 つまらぬ自我(じが)妄執(もうしゅう)()て、得手勝手(えてかって)(つつし)んだら、()(なか)はきっと(あか)るくなるだろう。

 (おれ)が俺がを()て、お(かげ)さまでお陰さまでと()したい』(出典(しゅってん)()(めい)

というように、神理(しんり)(きょう)(たい)しての(おも)いや直接(ちょくせつ)(おし)えでなくとも相通(あいつう)じるものなどが(あつ)まってきて、交通(こうつう)整理(せいり)をするうちに内容(ないよう)(ふか)まるようです。

 

 また、(いく)つかの(きょう)(かい)大祓(おおばらい)()(ほう)(はい)節分(せつぶん)様子(ようす)がカラー写真(しゃしん)()りで紹介(しょうかい)され、それが掲載(けいさい)されることもあります。

 最近(さいきん)はブロック研修(けんしゅう)内容(ないよう)要望(ようぼう)があり、それが()かされることもあります。

 1ヶ月に平均(へいきん)(かい)くらい発行(はっこう)され、(おそ)くとも1時間(じかん)くらいで()くので、新鮮(しんせん)話題(わだい)(たの)しめます。

 そこで(はな)()われ熟成(じゅくせい)したものが、この神理(しんり)雑誌(ざっし)掲載(けいさい)できればと(おも)います。

 一月の(しん)(ねん)(さい)では(せい)(じん)(しき)白寿(はくじゅ)(むか)える信者(しんじゃ)さんも(ふく)めて寿祭(ことぶきさい)(おこな)ったことを掲載(けいさい)しましたが、その時の本院(ほんいん)責任(せきにん)(やく)(いん)祝辞(しゅくじ)をここでも紹介(しょうかい)します。

(せい)(じん)(しゃ)に…。

「おめでとうございます。

 私たちが(みな)さんの(とし)には、徴兵(ちょうへい)検査(けんさ)がありました。

 私は健康(けんこう)だったのでそのまま軍隊(ぐんたい)に行きました。

 すぐに(かえ)れるかと(おも)ったのですが、日支(にっし)()(へん)(つづ)太平洋(たいへいよう)戦争(せんそう)(はじ)まり、(いのち)はあったものの(もど)ってきたのは、27歳でした。

 だから、私には青春(せいしゅん)がありませんでした。

 (みな)さんは、平和(へいわ)時代(じだい)に生まれることが出来(でき)たのですから、この素晴(すば)らしい時期(じき)()いのないように()ごして(くだ)さい」

寿祭(ことぶきさい)()たる(かた)に…

「おめでとうございます。

 そして(さき)ほど(もう)()げたように、戦争(せんそう)という大変(たいへん)時期(じき)を日本のために(いのち)(けず)りお(はたら)(いただ)きました。

 また、(いま)のアフガニスタンに()るような戦後(せんご)荒廃(こうはい)した日本を、(いま)日の平和(へいわ)時代(じだい)(みちび)(きず)いて(いただ)き、(ほん)(とう)()(がと)うございました。

 そしてお(つか)れさまでした。

 これから(さき)もお元気(げんき)に、(あと)(つづ)(わか)(ひと)たちをご指導(しどう)(くだ)さい」というようなお(はなし)でした。

 

また、実践(じっせん)報告(ほうこく)として(つぎ)のようなものもありました。

本日(ほんじつ)S先生(せんせい)(きょう)(かい)月次祭(つきなみさい)があり、祭官(さいかん)勉強(べんきょう)をさせて(いただ)きたくお(うかが)(いた)しました。

 (こん)(かい)月次祭(つきなみさい)(しん)(ねん)ということで()(ほう)(はい)があり、祭式(さいしき)()わり(みな)での直会(なおらい)(せき)で、くじ()がありました。

 景品(けいひん)にそれぞれご(きょう)()御歌(みうた)()えられてあり、景品を()()(さい)I先生が()んで(くだ)さいました。

 (みな)(さま)れぞれに()たっているというか、(がい)(とう)する御歌(みうた)だったようです。

 もちろん私も(かんが)えさせられる内容(ないよう)の御歌でした。

 まだまだ(しん)参者(ざんしゃ)ゆえに、ますます精進(しょうじん)させて(いただ)こうと(あらた)めて(おも)う一日でした。

 また、I(きょう)(かい)出張(しゅっちょう)講習会(こうしゅうかい)やブロック研修(けんしゅう)会など参加(さんか)させて(いただ)きます。

<*編集(へんしゅう)よりいつも本院(ほんいん)にも祭官(さいかん)奉仕(ほうし)研修(けんしゅう)()(いただ)いていますが、()()れて(くだ)さる(きょう)(かい)があることは幸運(こううん)ですね。

 ご先祖(せんぞ)(とく)がおありなのでしょう。

 (ちか)(しょう)(らい)、ご自分(じぶん)(きょう)(かい)でも()かせられることになると、ご先祖(せんぞ)のお(よろこ)びは益々(ますます)(おお)きく、(いえ)(さか)えとなることでしょう。>この他にも沢山(たくさん)話題(わだい)満載(まんさい)ですので、興味(きょうみ)をお()ちの(かた)は、こちらの会にもご参加(さんか)(くだ)さい。

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☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A
神理未来委員会広報部員が答える

素朴な疑問  「Q&A」

 インターネットやFAXでの質問にお答えしたものを皆様と分かち合いたく、紹介します。
 普段の生活と信仰についての疑問や質問があれば、お寄せ下さい。
 あまりにも基本的と思われることも、意外に深い意味のあることもありますので、遠慮なくお送り下さい。

Q1、天在諸神を御神璽ではなく、御神符にお鎮めしている家でも、ご先祖をお鎮め・お祀りしてよいのですか。
 
A、 大切なご先祖の霊璽(仏教では位牌)を祀るには、天在諸神の御神璽を霊殿の中央にお鎮めして、隣に
霊璽を祀る形が、神理教としての正しい祖先の祀り方です。
 私たちはご先祖からお守り戴き、ご先祖は(私たちを含めて)親神様からお守り戴く、という心を持っていれ
ば、親神様を大切に重んじると言う意味で、御神璽にお鎮めするということは、自然な姿だと思います。
 絶対に御神璽を抜きにして祖先をお鎮め・お祀りしてはいけない、ということではありませんが、御神符より
も御神璽の方が神様への敬意が深まると共に神様からの御加護もめでたくなる、というのも事実であることを
忘れてはなりません。
 私たちが神様への敬意と信仰を深めることに比例して、より大きな御神徳を与えて下さるのです。

Q2、本教の「祈念詞」は、いつ頃、どなたがまとめられたのですか。
 
A、 神理教書目録の中にある、まだ活字化されていない「常用祝詞」に詳しく書いているとのことですが、現在
の通説と傍説をお知らせしたいと思います。
 本教の通説では、「祈念詞」は、御教祖が延喜式などを参考にして作られ、明治13年の開教の時には、既に、使
われていたと言い伝えられています。
 傍説としては、企救郡(現在の小倉南・北区・門司区)に、昔から伝わってきたものを御教祖が、手直しされたと
いうものです。
 しかしながら、昔の企救郡の神社が、今でも使っている「祈念詞」は、御教祖の弟子の前期に当たる神社の子弟
によって伝えられたものと思われます。

 

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