***** 巻 頭 の こ と ば ***** |
地図を広げましょう。北九州市はどの方向ですか。 家族そろって整列して、家から本院の方向に向いて拝みましょう。 そして次は、お墓の方向を向いて拝みましょう。 家族そろって礼をし、拍手をし、礼をする。作法もきちんとしましょう。 神様・先祖に対し、感謝の気持を伝えましょう。 「応対の丁寧なるは美なり」との教えのように礼を尽くしましょう。 御教祖の遺言状に「報本反始は礼の本なり」と説かれております。 本に報い始めに返る。すなわち、神や先祖の恩に報いるということです。 全て、拝礼から始ります。
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かんなぎべ たけひこ |
神理教管長 巫部 健彦 |
ひと か ひ みち えら |
人のため 甲斐ある道を 選びなば |
ゆく て ひら ふ なづ |
行方開けて 踏みや泥まじ |
高支持率を保持し続けて来た小泉内閣が、外相更迭により一挙にその30%近くを失墜、いわゆる 内外の抵抗勢力を勢いづかせている様であります。願わくは、国民の期待に応えた政策を具現しつ つ、国民の期待感を増幅する歩みを進めてもらいたいものであります。 それにしても、露呈された元外相と外務官僚と国会議員との三角関係?には、元外相の蛮勇に驚嘆 すると共に、誰もが呆れはてた事かと思われます。反面、陋習に歪められながらも良くぞ大過なく済ん だもの!との感慨も、共有して切なる所かと思われます。 持ちつ持たれつ!という俗言が思い合わされます。これは、助けたり助けられたりするという共存の実 態を示すものであり、個人としては、周囲の人々から助けられている事を自覚し、周囲の人々に役立つ 生き方に心掛けるべし!と受け止めねばならぬものであります。 しかしながら、元外相と外務官僚とは、その自覚と心掛けに欠けるものがあり、外務官僚と国会議員 とは、責務として国民という多くの人々に役立つべき立場にありながら、その自覚と心掛けとが、優先し て相互の権益の保全に傾注したという事になるようであります。 それこれ考え合わせますと、現実的には、特定の個人との関係は避けがたい所という事になりそうで すが、それにしても、その特定の個人との「持ちつ持たれつ」関係には、危険が潜んでいるとする認識が 不可欠であり、相応の用心も肝要とせねばならぬようであります。 これは、家族関係という場でも、重ね合わせて用心せねばならぬ所であります。周囲の人々から助け られている事を見逃し、周囲の人々に役立つ事を怠り、ただ狭い視野で平穏な家庭を心掛けているだけ では、思いがけぬ危害に襲われ兼ねぬという事であります。 仮にお互いが、周囲の人々への心遣いに努力すれば、周辺での犯罪を阻止し、暮らしの安全を増幅 できるに相違ないと考えられます。見知らぬ人々とも「持ちつ持たれつ」の関係にある点へまで思い及べ ば、異常な殺傷も抑制されるものと思われます。お互いとしては、そうした関連にも考え及びながら、平 穏な家庭の構築に心掛けたいものであります。 |
メールマガジン(電子郵便雑誌2) 1. 『私は また、いろいろな この 「 たった “ そこで 『 どうして お陰のかたまりが つまらぬ というように、 また、 1ヶ月に そこで 一月の 「おめでとうございます。 私たちが 私は すぐに だから、私には 「おめでとうございます。 そして また、 そしてお これから また、 『 もちろん私も まだまだ また、I <* ご 神理教メールマガジンのお申し込みは snr@try-net.or.jpへ |
素朴な疑問 「Q&A」 インターネットやFAXでの質問にお答えしたものを皆様と分かち合いたく、紹介します。 普段の生活と信仰についての疑問や質問があれば、お寄せ下さい。 あまりにも基本的と思われることも、意外に深い意味のあることもありますので、遠慮なくお送り下さい。 Q1、天在諸神を御神璽ではなく、御神符にお鎮めしている家でも、ご先祖をお鎮め・お祀りしてよいのですか。 A、 大切なご先祖の霊璽(仏教では位牌)を祀るには、天在諸神の御神璽を霊殿の中央にお鎮めして、隣に 霊璽を祀る形が、神理教としての正しい祖先の祀り方です。 私たちはご先祖からお守り戴き、ご先祖は(私たちを含めて)親神様からお守り戴く、という心を持っていれ ば、親神様を大切に重んじると言う意味で、御神璽にお鎮めするということは、自然な姿だと思います。 絶対に御神璽を抜きにして祖先をお鎮め・お祀りしてはいけない、ということではありませんが、御神符より も御神璽の方が神様への敬意が深まると共に神様からの御加護もめでたくなる、というのも事実であることを 忘れてはなりません。 私たちが神様への敬意と信仰を深めることに比例して、より大きな御神徳を与えて下さるのです。 Q2、本教の「祈念詞」は、いつ頃、どなたがまとめられたのですか。 A、 神理教書目録の中にある、まだ活字化されていない「常用祝詞」に詳しく書いているとのことですが、現在 の通説と傍説をお知らせしたいと思います。 本教の通説では、「祈念詞」は、御教祖が延喜式などを参考にして作られ、明治13年の開教の時には、既に、使 われていたと言い伝えられています。 傍説としては、企救郡(現在の小倉南・北区・門司区)に、昔から伝わってきたものを御教祖が、手直しされたと いうものです。 しかしながら、昔の企救郡の神社が、今でも使っている「祈念詞」は、御教祖の弟子の前期に当たる神社の子弟 によって伝えられたものと思われます。 |