***** 巻 頭 の こ と ば ***** |
「捨てる神あれば、拾う神あり」とよく言われるが、苦境や 挫折に立たされた時、自分の実力不足は忘れて「捨てる神」 を恨んだりする。 逆に、順調に事が運んだ時など「拾う神」に感謝したり、陰で支えてくれた 人達に目がいっただろうか。 どんなに小さな事にでも感謝の心を持つ。 感謝は感謝を呼び逆境にも試練としての感謝の気持ちが出てくるかもしれない。 「捨てる神」 「拾う神」、両方に感謝。
|
かんなぎべ たけひこ |
神理教管長 巫部 健彦 |
あらたま とし はじ あさ |
新玉の 年の初めの 旦のごと |
心すなほに いのらばや日々 |
平成十四年の新春を先ずは恙なく迎えることとなり、ご同慶の至りと感謝しつつ、 改めて、敬宮愛子内親王殿下の 御生誕を敬祝申し上げ、世界の和平進展・国運の回帰復活とともに、ご一家が健勝で御清栄の程を心より祈念いたします。 それにしても、世界同時不況の波は、本年も暮らし向きを厳しいものにすると言われており、アルカイダなど世界的に 組織されたテロ集団も機を窺っていると思われますし、それなりの覚悟と用心とが肝要という事になるようであります。 勿論、そうした覚悟と用心とがあっても、被害を全面的に回避できるとは申しかねますが、苦に耐え挽回に立ち向かう 気力は失われぬと思われますし、いわゆる立ち直りの機会をつかむという事例も、現に少なかず見受けられている所で あります。 それにしても、イスラム教徒の生活に溶け込んだ信仰姿勢をみていますと、もともと困苦に耐えざるを得ない環境を背景 として生じた宗教かとは思いますが、それにしても、一心不乱の信仰心が生きる支えとなる事を、実証していると申せそう であります。 尤も、原理主義を掲げる人達の姿勢には、前近代的な影が殊に顕著に見られますし、概して現代社会に整合しがたい 部面があるようにも感じられますが、それが却って、素朴純粋な信仰姿勢の伝承保全の要因となっているようにも考えら れます。 即ち我々の場合は、近代化する生活環境への適応に心が傾き過ぎた為、素朴純粋な信仰姿勢の伝承保全がおろそか となり、信仰に結びついた生活姿勢が次第に衰退し、従って無用な不安におびえる状態を招いている、というようにも受け 止められます。 無用な不安は、大きな災禍や自滅さへも招きかねぬ様でありますし、我々としては、そうした点からも信仰と実生活との 関係を見直し、祖恩や神恩に感謝しつつ、素直に御加護を仰ぎ願う時を持つことが望まれます。不安に誘われる事も予測 ・覚悟しながら、願わくは、そうした用心と努力とにより、共々に心やすらかな日々を得たいものであります。 |
幸 彦 |
いえ たから |
家 の 宝 |
家族の世話で 「 その 「 自分たちが 「そうした自分の家族を 今まで理解していたつもりの障害を持つ人の苦しみが、自分の家族を まさに、他人への奉仕の 死ぬかも知れないような けれども、 まだまだ 何事も頭の中だけで 生きているということは、そうした気持ちになりさえすれば、いろいろな しっかりと生きるということは、生きているからこその そうした学びや修行から この数年、リストラ( ご自分の事を話して頂いたり、神さまの話をしたり、 それは自分で気付いて その順番が 心や体に大きな 私たちの社会や家族に ほんの少しの そう考えると、社会や家族の中で心身に傷を負っている人は、健康な人の 世の中に 障害者もその家族も |
Q1 大祓(おおはらい)について教えて下さい。 A 大祓とは、伊邪那岐命が、黄泉(よみ)の国でお受けになった、罪や穢(けが)れを洗い流そうと、水を浴びて身体を清められた 故事に由来し、人が、知らず知らずのうちに犯してしまった罪や過ち、心身の穢を祓い清めるために行う神事を「大祓」といいます。 毎年、六月と十二月の二回、その月の末日に行います。 六月の大祓を「夏越(なご)しの大祓」といい、十二月の大祓を「年越しの大祓」といいます。 平安時代初期の法制書『延喜式(えんぎしき)』にも、六月と十二月の大祓が記されています。 大祓には、「形代」(紙を人の形に切り抜いたもの)に、名前と年齢を書き、さらにその「形代」で身体を撫でて息を吹きかけます。 そうすることにより、自分の罪穢を移し、それを海や川などに流したり忌火(いみび)で焼き、身代わりに清めてもらいます。 また、疫病や罪穢を祓う「茅(ち)の輪(わ)くぐり」の神事も行われます。 Q2 七福神について A 福徳の神様として信仰される代表的な神様が、「七福神」であります。 この信仰は、室町時代の末期の頃から生じたものとされ、当時の庶民性に合致して、民間信仰として育てられました。 特に農民、漁民の信仰として成長し、現代に生き続けています。 「七」の聖数に当てて組み合わせられた、大黒天・恵比須・毘沙門天・弁財天・布袋・福禄寿・寿老人の七神があてられました。 このうち寿老人は、福禄寿と同体異名であるという説もあることから、寿老人の代わりに吉祥天(きっしょうてん)を入れることも あります。 また、大黒天は、インドの神様ですが、「大黒」が「大国」に通ずるところから、出雲大社に祀られている大国主命と混同されてい ます。 大黒天、毘沙門天、弁財天は、仏教出身が明らかですが、他の恵比須、布袋、寿老人、福禄寿についての文献が少なく、布袋、 寿老人、福禄寿は、中国の道教、神仙観とされています。 「七福神」は、中国から輸入された思想と、古来より日本で信じられていた俗信と、仏教思想とが入り混じって生じた、信仰である と伝えられています。 七福神が、夢まくらの宝船に乗って現われると福が授かるといわれ、縁起がいいとされています。 また、七福神は瑞祥の象徴として、絵画や彫刻、芸能の題材としても、よく使われています |