自然の道
幸 彦
禊に思う
夏の講習会の目玉の一つは、明誠の滝で早朝五時から行われる“禊”です。
“禊”は、“身を削ぐ・身を濯ぐ”という言葉を元=本言とするようです。
“身を削ぐ”と言えば筆者はこの一年ほどで、お腹の周りを中心に8sほど“身を削ぐ”ことに成功しました。 病気ではないかと心配下さる向きもあったくらいですが、健康診断ではまだ3sほど減らさないと、と言われました。 お陰で、少し高かった肝臓の値も中性脂肪も標準となり、昔の服が着られるようになって、自己経済効果もありました。 読者の皆様へもお裾分けをしたく、増えない悩みをお持ちの方もおられるでしょうが、私の減る方の工夫をお話しします。@意欲・体重計Aおかずを増やしてもご飯を減らす・野菜ジュースB呼吸法、の三つです。@アメリカによく行くという人と話していて、向こうには大きな人が多い話になり、ポップコーンやフライドポテトが安いという話を聞きました。「でも、そうして横に大きくなった人は、自己調整の出来ない人として軽蔑されるような社会風潮もあるのですよ」という話を聞き、少し自尊心を傷つけられたような気持ちとなり、“意欲”が起きた訳です。 動機がなんであれ、それが自分の“意欲”をかき立たせるものが必要です。 自尊心や見栄も、神から与えられた欲の一つであることから、貪りやその反対の焦りとならないように気を付ければ、使いようですね。 体重計も“意欲”を増すために買ったのですが、最初脂肪も計れる物をと思ったものの、高価なので単純な物にすると二千円弱でした。 結果的に体重が減れば脂肪も減るようですから、これで十分でした。 朝夕が結構楽しみになるものです。Aご飯を七から八割くらいにして、その分おかずや野菜を取るようにしました。 野菜ジュースを飲むように心掛けましたが、五百ogで二百円を切る店を見つけることが出来ました。B呼吸法は、『はじめての神理教』に、長呼吸法・鎮魂法として紹介していますので、無理なく神に近づく道としても是非ご覧頂きお試し下さい。 こつは、息を吐くときに下腹をへこめる(すぼめる)ことで、これによってお腹の筋肉を使う意味があるようです。 以上、神と祖先に感謝の気持ちを持ちながら続けると、そんなに無理をすることなく出来ます。 途中で止めてまた行うことを繰り返すのは健康にも良くないのですが、ストレスの多い世の中ですから、一時的に食べるのは構わないことです。 だからこそ、神と祖先に心を通じ合わせながら続けることが大切なのです。 余談が長くなりましたが、神に通じるのに二つの方法があります。 一つが禊に代表される修行であり、もう一つが日常生活の中から学びながら自らを磨くことです。 御教祖が“難行苦行はいらぬこと”と教えられたのは、一人であるいは他と助け合い、大変な日常を生き抜く中で世に役立つ喜びを味わいながら神に通じるのが、自然の道ということだと受け取れます。 難行苦行の修行もそれが神から与えられたものであれば、夏の講習会でも行っているくらいですから決して非難されるものではありません。 最近、滝行をする人の話で、自然と一体となる快感や自然の一つひとつまで見えてくる驚きの感覚を聞いてなるほどと感銘を受けました。 ただ、気を付けなければならないところがあるように思うのです。 それは、難行苦行を深めれば深めるだけ、もっと深い何かもっと尊い神や仏に通じられるのでは、という修行の貪りとも言える陥穽(落とし穴)にはまることです。 そして、世のため人のためそして自分のためという本来の目的を見失い、あるいはバランスを崩すことです。 しかし行う以上は、その修行の目的をしっかりと見定めることが必要です。 自分が修行を通じて何を得ようとしているのか、そしてその得たもので社会に何をお返しすることが出来るか。 心を鎮め、一端でも神と触れ合える喜びを味わえること、その喜びと神に通じる有り難さや安らぎを周囲の人に伝え、分かち合うことが大切です。 ただ形のみを行えば神に近づけるというものではなく、心が入らなければ過つ神に取り憑かれることさえあるのです。 また修行の魅力を味わうのは良いものの、修行を理由に日常生活と切り離したり現実から逃避をするようなことがあってはなりません。 日常生活の中にこそ身近で自然な修行が出来る主体であって、難行苦行はその手助けとなる従のものなのです。 日常生活を修行の場でもあると考えることが出来れば、毎日がより充実したものになります。 難行苦行と日常の修行の間にあるものに、神前奉仕や社会奉仕があります。 告白すると、筆者は恥ずかしながら最近まで奉仕の意味、奉仕の喜びというものがわかっていませんでした。 また、すぐには使わない教義の勉強をしたり、同じく使うことの少ない祭式の勉強を一生懸命にする人の心が理解できていませんでした。 ある時本院への奉仕団の方たちと体を動かしていて、その辛さに思わず無心となっている自分に気が付いたとき、神が側に存在するのを感じたのでした。 例えば八月は穂見祭(お盆)の墓参りがありますが、前もって暑くて蚊の飛び交う中を草むしりをすれば、ご先祖の喜びを感応する事ができます。 日常・奉仕・修行とメリハリをつけながら、共に神祖に近づきましょう。