自然の道
幸 彦
祖霊の心2
先月不幸の原因として、ご先祖の霊魂の不安定から子孫が不幸を味わうことを4つほどあげてみました。 今月はこの4つの原因への対処法を考えながら、祖霊の心を探ってゆきたいと思います。@ご先祖からの徳が枯れる(なくなる)。
「私は良いことで出来ることはしますし、悪いことはしません。
もちろん信仰など、今までの習慣にないことをわざわざ取り立ててする必要を感じませんが、悪いことが起こることはありません。まあ世の中は運ですから、ずっとこのままとは限らないでしょうが、今の心がけを変える必要は感じません」という人がいます。
筆者もそんなことを考えていた時期がありました。 しかし、私たちは普段の何気ない言動が悪意があるように受け取られたり、善意でさえ誤解を受けることもあります。 祝詞に『…ゆくりなく犯しけむ 諸々の悪事罪汚れ…』とあるように、自分では気付かずに他人を傷つけたり、善意で行動していても他人に悪意に受け取られ、憎しみや恨みを受けることがあります。
こうした憎しみや恨みがしこりのように残ることを、罪汚れというのです。 また、世の中にも景気や不景気があるように、世の中の波にのまれてもろくも沈んでしまうことがあります。 そうした事態への物質的・精神的な耐性・粘りが祖先の守りである、と本教では考えます。 今、そうした祖先の守りの薄い人が多いように感じます。
ご先祖の善悪相半ばした心がけや行動から、徳がない状態、またはあっても子孫が使い果たした状態を徳が枯れるというのです。その状態に自分で気付くことが第一ですが、では気付いたときにどうすれば良いか。 私たちは、他人に迷惑を掛けずに生きている、などということは決してなく、例えば他の生き物の命を食べずには生きられないし、車を使うなど環境を汚さずに生活できないし、人間関係が全て対等でないように仲裁や保証人など一方的な願い事や相談をせずに世の中を過ごしてはゆけません。 他人に迷惑を掛けるのなら死んだ方がよい、等というのは世の中の摂理をわきまえていない考え方です。 悪いことをして迷惑を掛けるのではなく、こうした願い事や相談を始め他人の手や知恵をを煩わせるものがあります。
こうした迷惑は掛けていけないものではなく、掛けられる迷惑は遠慮をせずに掛けた方が良い、と少し気楽に考えてはいかがでしょうか。 他人のためにそうした迷惑を被る人は、徳を貯めているのです。
他人に迷惑を掛けるいうことは生きていく上で必然の物でありながら、他人に掛けた迷惑を誰かに返してゆく、というのが本来の人の生き方です。 掛けた本人に返すことが出来ないからしょうがないのではなく、返すのは自分の周りにいる誰にでも返してゆくべきです。知らずに迷惑を掛けていることも意識し、掛けた迷惑より多くのものを社会にお返し(奉仕)することを心掛けましょう。 教会や本院での奉仕を始め、家や教会や本院で手を合わせることが、お返し(奉仕)の練習と心得ましょう。
本院に帰られ清掃奉仕をされる方に御礼を言うと、「いいえ、帰らせて戴くこと自体がただ心楽しく嬉しいし、本当にここで元気を戴きます」と言って下さいます。
また、自分自身の利益のためだけに行なっているつもりの仕事が、実は社会に役立っていたということもありますが、その心得を社会生活に生かし、世の中の役に立つ気持ちになることが大切です。 そうすることで神と心の波長を合わせ神に力を戴き、自分と自分の家の徳を貯めることになるのです。
A神・祖先からの徳が途絶える。 先月書き述べたように、神・祖先からの徳が途絶えるというのは、祖先の一柱または複数柱、また自分自身が罪汚れに染まることから、神・祖先からの徳の道が閉ざされてしまうことをいいます。本教の祝詞に『…篭自物目の前に見ながら 助け守る事の成さざる苦しき悩みを受け…』とあるように、子孫の苦しみを手出しの出来ない篭の中(牢獄)から見るようなもので、なんとももどかしい苦しさを味わうことになります。
子孫は何をしてもうまくいかない、ということになります。B徳のないご先祖に導かれる。 これも先月書き述べましたが、徳のないあるいは不徳の先祖でも子孫を大切に思う気持ちは誰しも同じですが、目隠しをして子孫を導くようなものです。
子孫が何もせずとも物事が良くない方へ向いてゆく、ということになります。 ABについても自分が気付くことが第一ですが、では気付いたときにどうすれば良いか。 大元の神である天在諸神に先祖の霊魂の安定をお祭りをして祈る、ということを行うべきです。 お祭りを通じて神に願うのが一番の方法である、と御教祖は教えておられます。 普段は祖先と人とは守り守られる関係にあるのですが、そのバランスが崩れると両方とも悪い状態へと落ち込んでゆくのです。 祖先と人の両方を併せて救えるのは大元の神しかいないわけですが、そこに気付き祭りを行うのは、生きている私たちなのです。神道で生は死に優先するというのは、まず生きている私たちが神・祖先からの道を正す大切さと方法に気付き祭りを実行しなければいけない、ということを教えているのです。C神・祖先からの罰ではなく、お知らせ・訴えがある。 病気や災難を神からのお知らせとして、受け止めることが出来たときにどうすれば良いか。
本教には『(人体本言考)神理の声』という、御教祖の著書を故瀬戸総監がまとめなおした本があります。
病気や災難を戴いた際には、それも神と祖先のおはかりと受け止めて勉強されたり、本教の教師の先生にお聞きするなどされてはいかがでしょうか。
親の七光り 天在諸神は別にして、私たちの一番の守り神はご先祖です。 親の七光りとは、有力者やお金持ちの子どもをうらやんだり軽蔑して使われることが多いようですが、祖先の心を察するに祖先の力にはおおいにすがるべきです。
もちろん祖先の守りだけで生活が成り立つわけではなく、子孫自身の努力も必要です。 それぞれが自立しながらもお互いを守りあい、それが出来るように大元の天在諸神に祈るというのが、人の自然な生き方なのだと教えられます。