神理

平成13年1月号
       第1043号

ライン45

       ***** 巻 頭 の言 葉 *****
 
 神様そして祖霊は、私達の肉体と精神の根源である。

 誰もある日突然に生まれ出たものでなく、連綿と続く結果として今がある。

 そして、誰でも最も強くその人の幸福を願ってくれるのはその親である。

その親も祖父母によって幸福であれと願われ、更に曾祖父母がその子の

幸福を祈り・・・・・と、ここにも連綿とした「祈り」の系譜がある。

 無限にさかのぼる先祖神達の「幸福であって欲しい」という「祈り」によって、 

私達は今、生かされている。

ライン45

管長
かんなぎべ  たけひこ
巫部   健彦
 あらたま  とし あした  ことほ
 新玉の 歳の旦は 言祝ぎの 
               あ  そ
   声ほがらかに 明け初めてけり
                                              
                           神理教管長  巫 部 健 彦  
           
    つつが
  平成十三年の新春を恙なく迎える事となり、ご同慶に存じます。いわゆる二十一世紀の幕開

 けの年という事でもあり、一そうに気分改まる新年という事になりますが、そうした清新な気
                                 
 分を共有して新年を祝福し合えるのは、実に有り難いことと思います。
  
もっと
  尤も、祝福し合いながら新年を迎えるのは、今回だけではなく例年の事であります。言わば

 毎年の新春は喜びと共に迎えている!とも申せる状況でありますが、これは、仮に好ましから
                                     
 ぬ事があっても必ず立ち直れる!という点を示唆している様にも考えられます。

  人生は悲喜憂楽を伴いつつ進められるものでありますが、その大小・深浅は、その人の思い

 込み次第と申せぬでも無く、その思い込みを誤った場合、楽観的に浮かれすぎて油断転落する
                                       
 事例や、悲観的に沈みすぎて落胆低迷する場面も見られる、ということであります。

  一般的には、その悲喜憂楽の振幅は大!と言える様でありますが、振り子と同様、振幅を繰

 り返して一方に片寄ったままの状態とはならぬ様であります。つまり、楽観的に浮かれすぎる
                                     
 場合もですが、悲観的に沈みすぎる場面も異常!という事になる訳であります。
                 
     おちい                 うれ
  我々としては、誤った思い込みに陥りがちな点を踏まえた上で、悲しみ憂えている度合いの

 適否を見直し、喜び楽しんでいる加減の当否を問い直すことが不可欠であり、その結果として
                                     
 片寄り過ぎが認められれば、異常!と心得ての即応を肝要とすべきであります。
                                       

  いわゆる景気の低迷が続く原因として、悲観的な国民感情を挙げる声も聞かれます。楽観的

 にはなりがたい状況としても、楽観的な立場で見直す試みは可能と思われますし、そう試みる
                                       
 事により、悲観的に沈みすぎる異常な状態からの脱出も可能となりそうであります。
                                           
  これは、お互い個々人の在り方にも通じる所であります。仮に好ましからぬ状況に追い込ま

 れたとしても、気分を転換して事態を見直す試みができれば、必ず新たな展望が得られる事に

 なると思われますし、そうした心構えも用心しながら諸事に対応され、心身すこやかに御清栄
                                   
 の年どなるよう念じつつ、先ずは恙なく新年を迎えての御挨拶と致します。

オノズの道

幸 彦

                      
皇居勤労奉仕 その2

                           幸  彦

 先月より1昨年12月に31人で伺った、神理教皇居勤労奉仕団の様子を

お話ししています。

天皇陛下

 半蔵門の前を通りながら、皆で、

「皇后陛下にお会いできて本当に良かったね」と喜びを分かち合いながら、奉仕団

の詰め所へ帰っている時のことです。

 後ろから警備の職員が、

「天皇陛下のお帰りですぞ!」と大きな声で教えてくれました。筆者は、

「多分車でお帰りだろうから、列を正してお見送りしましょう」と声を掛けて

進みました。

 そのうち案内の庭園課の職員は、

「陛下がどちらの道からお帰りか調べてきます」といって自転車で先に進みました。

 午後四時ごろといっても広大な皇居は鬱蒼とした木々に覆われ、もう薄暗く

なっていました。

職員と自転車は、すぐに薄闇に溶けて見えなくなってしまいました。

 そこに5・60mくらい前の方から、肌色の毛皮のコートを着た人と紺色の

ブレザーとズボンの人が二人、道端を見ながらぶらぶらと歩いて来ます。

 列の先頭の筆者が、

「あの方は、もしかして陛下じゃないですかね」と声に出すと、誰かが、

「それは違うよ、あれが天皇陛下のわけがない」と大声で言う間に、見る見る

近付いて来ます。

 15・6mも近付かれた時、筆者が

「やはり陛下だと思うけど」というと、前の方の数人が、

「あ!陛下だ、陛下だ!」と興奮して声に出します。

 天皇陛下は、もうその声が聞こえる4・5m前のところで立ち止まられます。

「皆、一列になって陛下をお見送りしましょう」と声を掛け、皆がそうなった

ところで陛下を見ると、少し困ったようなお顔です。


 なおもそのお顔を見ると、陛下は右手を差し出して道のそばをお指しになられました。

 その指先を見ると、そこには普段気付かないような小さな道が延びています。

『ああ、こちらの近道が舗装されていない、陛下のお気に入りの道なのだ』と

思いながら、陛下もお待ちの御様子なので、皆を呼ぼうと決めました。

 そこで筆者が手招きをするのを待ち兼ねたように、皆は陛下の回りに殺到するのでした。

 年配の警備の二人は少し身構えましたが、もう仕方がないという感じです。

「どちらからですか?」と陛下がお尋ねになられます。筆者が、

「福岡県です」とお応えすると、誰かが、

「北九州です!」と叫ぶように言い足すのに、陛下は優しくうなずかれます。

「どちらの団体ですか?」は皇后陛下と同じ御質問で、

「シンリキョウです」に平静の御様子でしたが、返ってこちらが気を回し、

「神道の一派で、神社と同じようなものです」と同じようにお話しました。


 幾つかの御下問とそのお応えを交わした後、陛下は少し話題を探すようにし

ておられましたが、居住まいを正され、

「この度は、有り難うございました」と言われ、小道に入って行かれました。

 私たちはまた、深々と頭を下げたのですが、見上げると片手を上げて振っておられます。

 皇后陛下の時と同様で、私たちは手を振りつつ頭を下げ、上げるとまた手を

振られるということが数回続きました。

 今度は、私たちも少し図々しくなり、最後には両手を振って万歳をするよう

に見送らせて戴いたのでした。

 勤労奉仕は皇居のみでなく、皇太子殿下を始め宮家のある赤坂離宮へも一日

伺いましたが、そこでも秋篠宮殿下やその妃殿下である紀子様を遠く近くでお

見受けする機会が持てました。

御会釈

 最終日、天皇・皇后両陛下また紀宮殿下が、六つの奉仕団に対して平成十一年

最後の御会釈としてお会い下さいました。

 私たち神理教の奉仕団は二番目でしたが、まず天皇陛下が奉仕のお礼を述べ

られ、参加者の農作物の出来などについて御下問されました。

 参加者は地域ではなく全国で難しいのと、筆者は背中に負っている日月五星

の教紋の話をしたかったので、少しちぐはぐなお応えになってしまいました。

「奥(皇后陛下)と会われたそうですが、それはどこですか」と聞かれた時、

『私たちのことを両陛下でお話し戴いたのだ』と感動しつつ、

「それは、お宅のですね、玄関をお掃除させて戴く時に、お会いさせて戴きました。

 その後、陛下にまでお会いすることが出来、団員一同は孫・子の代まで

語り継ぐ幸せと喜んでおります」と申しあげたことでした。

 文法もさることながら“御所”とか、せめて“お住まい”くらい言うことが出来れば

良かったのに、“お宅”などとは何とも失礼なことでした。

 そこで皇后陛下が前に進まれ、

「こちら殿下と御同窓らしくて…」と天皇陛下にお話になられ、筆者が思わず、

「私が大学の六年目の時に、一年生の殿下を廊下でお見受けしたことがありま

す」とお応えしますと、またも、

「六年目?」とお聞き返しになられたことでした。

最後に、皇后陛下がもう一歩近くに寄られて皆に、

「本当に玄関先のお掃除、有り難うございました」と頭を下げられて、両陛下

御一緒に次の団体に向かわれる時、団員は皆目に涙を溜め、嗚咽を漏らす声も

聞こえました。


 人は皆、命の暖かみのある人間を心の芯として必要とするものですが、日本人

は古来より天皇家を心の拠り所として大切に思ってきました。

 私たち神理教の教信徒にとって本家とも慕う両陛下を始め天皇家の方々が、

こうしたお気持ちを示されることで、大きな感動と安心を戴いたことでした。


  

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