自然の道
幸 彦
自分の輪
平成十三年も最後の月を迎えましたが、皆様にはどのようなお年だったでしょうか。
年頭には大まかな目標を立てた方もおられるでしょうが、その達成度はいかがだったでしょうか。
筆者は、今年も目先の仕事に追い回されされるとともに、若いときに怠っていたのか次々に人生勉強や体験をまとめてさせて頂く、という気が付けば充実した?一年がまた終ろうとしています。
目標を立てているつもりが、いや立てようと思っていたのが、いつの間にかもう終っていたということで、毎年の事ながらお粗末なことです。
ただ目の前のものは誠意を尽くして取り組む、また取り組めるような環境づくりを祈り心がけております。
神理教には議会・責任役員会・未来委員会・婦人会・青年部、本院には総代・世話人会と素晴らしい人間の環境を神に与えられ、難しい問題にも暖かく積極的に支えお力を頂いておりますことを感謝申し上げます。
お陰で今年一年も無事に終え、新しい年を迎えることが出来そうです。
先日テレビの前を通りかかると、まず紙に大きく円を描き、次ぎに目をつぶってその上をなぞるとどうなるでしょう?、というのをやっていました。
大部分の人が、最初に目を開けて描いた円より、目をつぶってなぞった方が小さくなるようです。
人の習性というか錯覚を確かめる実験のようでしたが、私たちもある意味では目をつぶって人生を歩いているようなものです。
例えば人生の目標を幸せな一生として円を思い描いたとすれば、実際の人生は目をつぶってその円をたどろうとするようなものです。
自分がどこまで来たのか、このままの速さで自分の思い描いた円を全う出来るのか、今の今は程度の差こそあれ誰にも全ては分かりません。
目は見えていても、晴れたり曇ったりする霧の中を手探りで歩くようなものです。
テレビを見て、子どもの頃読んだアメリカの童話を思い出しました。
白人がインディアンから土地を買う話で、なにがしかのお金を払い朝日が昇ってから日が沈む間に徒歩で棒を立てて廻って帰って来るというものです。
その棒の内側がその白人の土地となるのですが、人の習性として欲が出過ぎ棒や食物や水を持って歩くのに疲れ果て、何とか帰ってきたもののそのまま死んでしまって元も子もなくなってしまうという話でした。
欲は程々にというのが教訓のようでしたが、筆者は何故か子ども心に、『でも小さな輪は作りたくない』と思ったものです。
思いっきり大きな、それもとても結ぶことの出来ないような円を心がけ、少しでもそれに近づく努力を楽しめないかなと考えたものでした。
それは地位や名誉やお金が目的ではなく、自分の力をどこまで引き伸ばせるか、いくつまでそうした感覚でいられるかと挑戦する意欲です。
とにかく思いきり手を広げ全部を包み込みたい、という夢のまた夢を見る時期は誰にでもあるのではないでしょうか。
いわゆる大人の中には、もうそんな夢は忘れた人もいるでしょうし、心のどこかでおき火のように燃やしている人もおられることでしょう。
自分の心や他人の心、またその中の例えば親子や兄弟や夫婦のこと、世の中の仕組み、歴史や科学や宗教その他の真理について、知りたいことを出来るだけ大きな全体像の中でつかみたいといつも思います。
筆者はそのために子どもの時から何十回も放ち続けた、目一杯大きなつもりの輪が十・二十・三十・四十代と結びとなって返ってきているのを感じますし、今も放ち続けているつもりです。
それが、取り入れる知識の少なさや卑小な能力から、考えた以上に早く小さな輪となって返ってくるようです。
そんな小さな輪ならまだ分からない方がましなのに、と思う時期もありましたが、遅い年代になって戻って来る輪ほど、それでも程々の納得となるのは自己満足でしょうか。
善意や悪意やその根元、自分や他人の位置や今すべきこと、はっきり見えるとは言えないものの厚い霧の中から、輪郭のようなものが感じられるというのは、素晴らしい感動です。
そう考えると、莫大なる神・自然の御心のほんの一部も分かってはいないという自覚と、だからこそ少しでも分かりたい近づきたいという気持ちが大切だ、ということになります。
自分の信じる道を歩くということは大切ですが、そのための手法として、すぐに分かろうとするだけでなく、いつ返ってくるかも知れない大きな輪を自分で投げかけ、異なった見方から遠近感を持って物事を考え感じ取れればと思い6.
ます。
物事の全体像をすぐにつかみ取る能力も必要ですが、その場でつかみきれないときに無理矢理自分を納得させざるを得ない時もあります。
そうしたものを書き留めておいたり、もう一度考えてみようと自分自身に投げかけておくと、人間の頭というものは不思議なもので、日常で使う意識と同時にそうしたことも考えているもののようです。
『これでよい、もういいか』と自分に投げかけると気付くものも気付かないし、『物事をもっと広く見たい』と投げかけると、自然に耳をすまし感覚が研ぎすまされるものです。
欲と夢は別物で、内に向かっては自分の心を清め思いを深め、外に向かっては家族や社会や自然や神に心を開き真理を伺う気持ちが、よりしっかりとした人生を歩ませるといえますし、若さの秘訣だと思います。
来年の目標は、沢山の人に良い気持ちになって頂くような言葉かけや企画をしたく、そうした輪を自分自身にも投げてみたいと思います。
皆様も、よろしくご参画下さい。ご一緒しましょう。