自然の道
幸 彦
現代の病気
自然・社会環境の変化から、身体的・精神的にも新しい病名が増えています。
聞き慣れない現代の病気は、どこから何を原因にして来るのでしょうか。
私たちや私たちの子どもそして子孫は、そうした病気に罹っているまた今後罹ることはないのでしょうか。
自分のこと、あるいは自分の身近な人のことのように心を寄せ、自分がしてあげられることを普段から考えておくことが大切に思います。
今回は精神的なものを取り上げました。
神理幼稚園で毎月開かれている“鈴と小鳥の会”という障害児を考え支え合う会で、あるお父さんが参加者に問い掛けました。
「皆さんは、例えば道を歩いていたり電車に乗っていたりしていて、奇声を発っしたり奇行(奇妙な行動)をする人(障害者)がいたらどうしますか?」
この問いに参加者は戸惑っていましたが、やがて、
『知らん顔をする』、『見て見ぬ振りをする?』等の応えがありました。
参加者のほとんどは障害者に理解を持っている人たちですが、まず様子を見ようということのようです。そこで、
『同じ知らん顔をするのでも、その心の中は雲泥の差があるのでしょうね。
その奇行・奇声を発する人のことや障害者のことを理解できない人は、薄気味悪く思うだけでしょう。
片や理解していれば奇行・奇声を発する人の横にいて、さりげなくその人が満足のいくように手助けをしてあげたり、他人への迷惑を制止することが冷静に出来るのです』という話になりました。
人は理解できない出来事が目の前で起こると、怒ったり軽蔑したりすることでその場逃れをしがちです。
1.
そしてその行為がどんなに他人を傷つけているか気付かずに、その場を逃れたことにホッとして、その場面さえ忘れてしまうことがあります。
少し我慢をして、少し余裕を持って見直せば気が付くことなのに、それをせずに不意なく(=気が付かずに)そうした罪を犯してしまうのです。
私たちは気が付かずに犯している罪に気付かず、犯している事に気付いてもその罪を解くことに気付かずに生活していることが多いものです。
私たちは、他人から掛けられる迷惑を自分の勉強(修行)とし、他人に掛けられる迷惑を頼りにして助け合い生きる存在です。
だからこそ自分や自分の子孫がそうなったときのことに思いを寄せ、自分が何をしてあげられるのか、どんな心持ちで接するかをご一緒に考えられればと思います。
リフトカッター
NHKのTVドキュメンタリー(虚構のない実際のままを記録した)番組でこの題を見た時、筆者は何のことか分かりませんでしたが、その通りに訳せば『手首を切る人』とでもなるのでしょうか。
2.
この行為を繰り返す中で、最後には死んでしまった娘を振り返る作業をする父親の話でした。
ただ自殺をしようとして手首を切るのではないということがわかるにつれ、番組を見る私たちに“それは何故”という新しい疑問が湧いてきます。
娘の遺品を整理しているうちに父は日記を見つけるのですが、それこそは娘が世の中に遺したい、父を含めた世の中に訴えたいものが隠されていたのです。
毎日のように手首を切りながら、娘は決して死にたくはなかったのです。
父は娘の母でもある妻と別れ、男手一つで懸命に働き娘を育て娘もそれに応えるという、いわゆるとても良い子であったようです。
娘は良い子であることに疲れながらいじめに遭い、父と力を合わせてそれを克服した経験もあるのに、どうしてこうした結果となったのでしょう。
どうしてこんな目に遭うのだろうと、父も思ったことでしょう。
シンナーや覚醒剤、また家庭内暴力などの問題を持つ家庭から依頼され奉仕する人と話した時、すぐに言われたのが、
「神理教の教えにもあるのじゃあないですか?
親が変わらなければダメですよ」でした。
では、こうして一生懸命に働いて子どもを育てようとしているのに、こうした問題が出来てしまった親はどうすれば・どう変わればよいのでしょう。
どうしようもない環境や運・不運を除いて、こうした問題が起きない家庭とどこが違うのでしょうか。
戦後表面化した夫婦や嫁姑の確執に加え、近年拒食症や過食症、登校・登社拒否や帰宅拒否、大便の排泄拒否という症状を聞きます。
最近では、先ほどのリフトカッターの他にプチ家出(数日間限定?の家出)や恋愛依存症等、聞き慣れない現代の病があるようです。
プチ家出の理由は、家に帰ると一時は優しい家庭の雰囲気を繰り返し味わおうということのようですし、恋愛依存症も家では獲得できない触れ合いをウソでもいいから得たいということのようです。
一律に束ねた原因は言えないものの、現代病の根本には不安とそれを癒す家族の不在(目の前にはいても)があるようです。
そうした不安を表現するのに、本人も理解できない無意識のうちにこうした現代病の症状を表すということのようです。
リフトカッターのお父さんが漏らした言葉に、
「あの時は、娘が手首を切っていることを知っていても、何故だろう自分は一生懸命してやっているのに、としか考えられませんでした。
もう少し娘の立場から考えていれば…」というようなことを言っていました。
自立を促そうと突き放す愛情は、子どもに不安を与えたり心の負担となってしまうこともあり、かえって過保護の方が良いという研究発表を聞いたことがあります。
『自分が変わらないと、親子や夫婦関係は変わらない。
子どもは親の言うことは聞かないが、親のすることをする』といいます。
その場に応じて親や身近の人がその子の立場から考え、私たち自身もそのように支えてくださっている私たちの親やご先祖、大元のご先祖である神の存在を頼りにして生きて行きたいものです。
神とご先祖に頼り相談相手とすることに気が付けば、こうした病も減るだろうにと思いませんか?