***** 巻 頭 の言 葉 ***** |
明日の事は解らない。一週間後、一年後・・・誰も解らない。 全て一切は、神の理によるものであるから誰も解るハズがない。 要は、神を頼り信じて、「おまかせ」しながら日々を暮らすことが出来るか否かである。 神と先祖と手をつないで歩き進む気持が大切である。 |
かんなぎべ たけひこ |
神理教管長 巫部 健彦 |
くに おも くに つ また |
国を思ひ 国に尽くすは やがて又 |
わ み つ みち み |
我が身に尽くす 道かとも見ゆ |
秋は、もの思う季節と言われております。山川草木の気配とともに、小泉内閣発足以来の騒動も次第に沈静化、失業率5%をはじめとする 景気悪化の諸指数が報じられる中で、正に、もの思わせられる秋も、本番の十月を迎えることとなりました。 総論としては、最大野党も賛成していた「構造改革」でありますが、各論として具体的に論議され始めることになると、まずは足元の省庁内か ら反対論の火の手があがり、これに与野党も加わって、徐々に大きく勢いづくことになりそうであります。 官僚といわれる人々の縄張り意識や既得権への固執と、族議員といわれる人々の権威や権益への執着とが、その反対論の根底にひそめい ている!という声も聞かれますが、何よりも望まれるのは、大臣といわれる人々の奮起・勇断!と考えられます。 又、官僚といわれる人々や、議員として国政に直接たずさわる人々も、姑息な手法での自己保身に拘ることなく、国家の保全という広い視野 に立って論議を進め、それも可及的速やかさでの結論到達!ということに挺身してもらいたいと思います。 国民が居てこその国家!とは申せますものの、主権在民という言葉は、決して個人の生活上の権利・権限を指すものではなく、その主権とは 国家統治に関するものであります。即ち、国家を意識した上でこそ用いられねばならぬ言葉、という事になります。 経済大国と言われる安定した体制が続いた為、さほど国家を意識せずにすんで来ましたが、その経済も治安も悪化の一途をたどり、主権者た る我々としては、国家を意識した行動に心掛けねばならぬ時を迎えた!との認識が不可欠となったように感じられます。 現実として、国家の内実が衰退すれば、国民一般の生活も衰退する事になります。仮に例外者がいたとしても暫時の事に過ぎず、寧ろ本来 の「主権在民」への理解を共有して、先ずは国運回復への「国是」を決定し、その「国是」の実行に一致協力する外なしと思われますし、思いやり と助け合いの心を力としての前進に、努めたいものであります。 |
人間と動植物 最近の やはり本誌の“ その また人が神と ペットも私たちの心を 火や しかし人間の ある時、本院の 「この 自分は行けないので夫の子どもに しかしよく話を聞いてみるとその帰院する子というのは夫の そうした話をしたところ また、 人間と動物の 自分の子どもと 人間のなんたるかを 神道と他の教え 本院の 「神理教は、他の教えを 食べるものに |
○○○ 九月号 Q、動物をひいた車は、お祓いした方がいいでしょうか。 ○○○ に対する再回答 A 先月号の回答は、基本的に御教祖の考え方に基いての回答であ ります。 詳しく説明致しますと、本教の「神理にゅうもん」のP91にも書かれていますが、物や動物は、「地の気」によって生じたものであり、人の霊魂 とは質が異なるものなので人に災いすることはないと考えます。 よって、通常は塩で祓う程度で十分だと思います。 しかしながら、迷いを持つ霊魂が、特定の動物に憑依している場合があります。そうした動物を轢いてしまった場合は、神職によるお祓いが必 要です。 Q1 おみくじの凶を引いたら、どうすればいいのでしょうか。 A1 おみくじは吉凶の占いであり、その時々の指針を決めることに使われます。 吉凶は、運の善し悪しよりも運の勢いを表し、凶とは占ったことが吉よりも勢いのないことを示します。 たとえ大吉が出ても、吉は凶にかえるといって油断は禁物であり、また凶が出てもやがて善くなることのお知らせですから、落ち込むことはあり ません。 そういう時こそ、神様に心を合わせ、御守護を願い、何事も今まで以上に努力することが大切です。 Q2 神無月に、神様がいなくなるというのは本当ですか。 A2 十月には「神無月」という異称があり、その語源については諸説ありますが、一般的に知られている説として、十月には全国各地の神様が 出雲大社に集まって不在になるところから「神無月」とする、藤原清輔(きよすけ)の「奥義抄(おうぎしょう)」の説があります。 でも、実際には神嘗祭(かんなめさい)を始め、全国各地で秋祭りが盛んに行われている事実からみても、神様は、昼夜を問わず私たちを見守 っておられます。 しかし、人の立場から神無月の意味を考えてみると、神様を見失い易い月ということが考えられます。 神様の御守護は、いつでも変わることがありませんが、人の心は、移ろい易いものです。 日頃の神様に対する感謝やお陰を、年間を通じて一番忘れやすい月ということでを戒めているのかも知れません。 |