自然の道

                         幸 彦

 

他宗教者との対話 モルモン教(キリスト教系)3

先祖こそ守護神

 筆者は、一生懸命に布教を試みるモルモン教の若者の熱意に好意をきながらも、この人達がこの教えの何を理と信じているのかが分かりません。

筆「全体、これら一連の奇跡談が何を言いたいのか教えて下さい」と聞いても応えはなく、これはどうかあれはどうかと聖書をめくるばかりです。

 質問の方向を少し変えてみました。

筆「大多数の宗教に共通する大きな目的の一つは、心のらぎですよね?

 では貴方達の教えは、安心のために何を伝えようとしているのですか?」

 すると、モ「貴方が子どもで何の力もない時に、もしガラスをったら誰にお金を払ってもらいますか?」と聞くのでした。

筆「親か祖父母にお願いするでしょうね」と応えました。

 そこで得たりとばかりに、

モ「目には見えないけれど、貴方や貴方の家族を自分の子供のように守るもの、それがキリストなのです」と言うのでした。

筆者はすぐに、「それは違いますよ。

 目に見えないながら、貴方や私の家族を自分の子供のように守るものは、貴方や私の祖先であって、決して人や自然を創造したという神や、最近出現したところのキリストではありません。

 貴方達のモルモン教も私達の神道も、大元の神を先祖とする点で同じであることは、確認しあい(昨年11月号)ましたね?。

 神は、私たちの親・祖先を遡ったところの血のつながった大元の親です。

 祖先は神から守られ、私たちは神と祖先から守られるという信仰は、人間が遠い昔から受けいできたものです。

 大昔から守って戴いた祖先を、どうしてたった二千年前に産まれたキリストに、すり替えなければならないのですか?

 貴方達のキリストは心の安らぎを説き、あるいは奇跡を起こして、たくさんの人の心や体を癒したのかもしれない。

 私たちの国にも、キリストのような偉人はいますよ。

 けれども、祖先を偉人や教祖にすり替えるような過ちは犯していません。

 キリストが産まれる前は、それでは人や生きものは誰に守ってもらっていたのでしょうか?

 キリストが産まれる前の人類は、何百万年も前から守ってもらうものもなく、不幸せだったのでしょうか?

 皆、大元の祖先である神と祖先に守って戴き、幸せで心豊かな生活を送ってきたと思いますよ。

 大昔から守って戴いた祖先をキリストにすり替えたことは、何が目的かまた何を勘違いしたのか分からないけれど、本当に大きな罪ですよ」とお話ししたことでした。

 一神教こだわると、分かりやすくするために先祖とその宗教の教祖をすり替えた方が、説教の際に便利が良いのかもしれません。

 また、すり替えたためにキリストなどその宗教の教祖の価値が上がるがあるのかもしれませんが、結果的に誤解や混乱を招いているのです。

 本教では、祖先は太古から私たち子孫を親しくお守り戴く存在で、御教祖はその事実を改めて教え導く存在、とその守りの役割を分担されると考えます。

 モルモン教の若者達は、ただ黙って私の顔を見つめるのみでしたが、やがて気を取り直したように、モ「もう少しこの聖書を読んで下さいませんか?」と言います。

筆「今まで話した以上のことが、この聖書に織り込まれているのですか?

  それはどこですか?」と問うても答えはありません。そして、

モ「では、この聖書を貴方に差し上げます。

  ここには真実があります。」と使い込まれた聖書を、大切なものを手放すように、筆者に差し出すのでした。

 熱意には新鮮な敬意を覚えるものの、何か本人の意志とは別のものがこの人達を支配しているようで、薄気味悪くも思います。

筆「真実も何もそこが説明出来なくて、これ以上何の話がありますか?。

  読むべきところのない聖書を下さっても、誰にも何も得るところがあると は思えませんので、要りません。

  それは貴方が持っていた方が良いのではないですか?」と言うと、ようやく気持ちが切り替わったのか、笑顔を見せてくれました。

モ「長い時間お話を聞いて頂いて、大変ありがとうございました。

  貴方の幸運をお祈りします」と握手を交わして帰って行ったのでした。

 モルモン教はともかくキリスト教との違いは、一つに大元の神が私たちの祖先であるか(神道)、神と人は全く別の存在であるか(キリスト教)です。

 二つは、私たちを身近に守って下さる存在が、祖先を中心にした配祀諸神であるか(神道)、キリストやマリアであるか(キリスト教)といえるようです。

 私たちは古神道・神理教の教信徒として、先祖が最も近い守護神である理を知り、その守りを戴けるように学び、実行してゆこうではありませんか。

平成12年1月号 第1031号  2000-1