平成12年12月 2000−12   第 1042号


 
平成三年一月から始めさせて頂いたこの“自然の道”も、今回で十年(百二十回)、そ

れ以前の“巻頭言”を加えると百六十回のご奉仕となりました。

 御愛読の皆様へご報告させて頂くと共に、筆者も大変勉強になりましたことを、喜びを

もって心から御礼申し上げます。

 影の編集長のような職員スタッフ二名は、前々任の編集長を含めて十六年五ケ月(百

九十七回)連続のお勤めで、さぞかしご苦労のことと思います。
                    
     ぞうかじんぐう
 この題を考え付いたのは、管長様の造化神宮の大祭の祝詞に“自然=おのずから”の

読みを教えられた時から頭にあったものでした。

“おのずから”という言葉が、神祖と私たちの安心につながる、最も自然で近い道を本教

に連想できれば、と願ったものです。

 本教として古来から受け継がれてきた神道・神理教の素晴らしい教えをいかに生活に

活かすか、
ということにテーマを置き心を砕いたつもりです。

 力不足ですが、もうしばらくお付き合い願うことになりそうですので、よろしく御辛抱を御

願い申し上げます。

「難しいからもっと易しく」など良くある要望ですが、この先もそうした具体的なお気付き

の点をどしどしお寄せ頂きたく、御願い申し上げます。

こうきょきんろうほうし
皇居勤労奉仕

 振り返れば昨年の十二月は、五年に一度の皇居の勤労奉仕に本教から団員を募って

上京したものです。

 天皇陛下へのお礼の手紙や感想文は、今年の二月号に記載されましたが、 天皇皇

后両陛下との会話を、忘れることのないうちに書き記したいと思います。

 皇居の勤労奉仕は四日間で朝九時から四時まで、と決まっています。

 一日目は心配りとユーモアにあふれる宮内庁庭園課の職員に案内され、興味深くも面

白い話に笑わされ、初日の緊張を解きほぐして頂きながら、「神理教さん、あなた方は大

変運が良いですよ。

 今年は1万人以上の方が勤労奉仕に来られる中で、御所(天皇陛下のお住まい)の玄

関の奉仕ができるのはほんの数組だけですから、くれぐれも他の組の人に自慢してはい

けませんよ。

 午前中の小一時間ほどの清掃と、芝生の植え替えを御願いします」と言われました。

 私たちは驚きと喜びに興奮して、あっと言う間にその時間は過ぎました。

「良かったね」とその幸運を口々に言い交わしながら昼食を済ませ、午後は普段入ること

もできない皇居の中を見学させて頂きました。

皇后陛下

 午後三時ごろ、もう少し残った御所の前の仕事を済ませようと、玄関側で作業をしてい

た時でした。

 一台の車が玄関前に止まっているのをぼんやりと眺めた時、庭園課の職員が、「皇后

陛下です」と小さな声で言うのが聞こえました。

 私たちはほとんど皆一斉に両手を前に幽霊のように立ち上がったのですが、十五m程

先に陛下がお客を送られるために立っておいででした。

 私たちの方に気付かれて少し頭を下げて御会釈をされ、またお客の方に向いて手を振

られ、車が見えなくなるまで見送られました。

 私たちはその様子を夢でも見るようにぼんやりと見ていたのですが、お客様を送られ

た後もう一度こちらにむかって御会釈をされました。

 私たちは、そのままお部屋にお帰りになられるのだろうと深くお辞儀をして頭を上げる

と、何とこちらの方に歩いてこられるではありませんか。

「わー」とか「ほうー」という、ため息ともどよめきともいうような声が上がりました。

「どちらからですか?」と皇后陛下がそこに居た人に話しかけておられます。「福岡県で

す」と応えまだ何か聞かれようとするのに、誰かが、「団長だんちょう!」と大声で呼びま

す。『団長、だれだっけ?あっ、私だ!』ということで、何と数十センチのところまで近寄

らせて頂きました。「どちらの団体ですか?」と聞かれるのに、「神理教です」とお応え

すると、「シンリキョウ?」といぶかしげな御様子に、さすがに『今流行のシンリキョウ

ではありません』などと喉をついた言葉は出せません。時間も考え、「神道の一派で

神社と同じようなものです」というのが精一杯です。

 そこで誰かが、

「団長は、皇太子殿下と御同窓ですぞ」などと大声で言うものですから、一瞬たじろがれ

た御様子で、「殿下と?」と、もう一度お聞き直しになられます。筆者もあわてて、「私が

大学の六年目の時に、一年生の殿下を廊下でお見受けしたことがあります」とお応えし

ますと、またいぶかしげに、「六年目?」とお聞き直しになられるのに、もうお応えのしよ

うがありません。『いらぬことを言わねば良かった。 無駄な話にお時間を割かせては申

し訳ない』と思いながら言葉を探していると、筆者の困った様子をお察し頂いたのか、話

題を変えて人数などをお尋ねになられます。

 そして最後に、皆を見渡して居住まいを正され、「こうして綺麗にして頂きまして、有り

難うございます」と言われて玄関の方に向かわれました。

 皆は感動して頭を下げますが、上げると振り返られて手を振られます。

 私たちも手を振りつつ頭を下げ、上げるとまた手を振られるということが、数回続きま

した。

 半蔵門奥の大きな鈴掛けの木(プラタナス)の前を通りながら、皆で本当に良かった

ね、と喜びを分かち合いながら、奉仕団の詰め所へ向かいました。

 そこへ後ろから警備の職員が、大きな声で教えてくれました。   つづく


神理

ライン45

 *****  巻 頭 の こ と ば  *****
  きどあいらく
 「喜怒哀楽」

 人の感情を表す言葉である。御教祖は特に「怒り」について、

 御教誡に「人は怒るとも己は怒ることなかれ」
                          いきどおる
  覚書に「今日一日、いかなることありとも、憤るまじきこと」
           わたくしごと
  さらに、遺言に「私事の為に腹を立つれば直ちに三つの損あり。
やまいお
病起こり家内不和となり、人に疎まる」と、ある。


  御教祖の御教えに感謝。そして反省。

 

自 然 の 道

                  幸 彦
戻る
おのずから
管 長
かんなぎべ  たけひこ
巫部   健彦
           ささへ
  諸々の 支えあればの 年の瀬と
           おも  つつし  とき  
       思ひ慎む 時をともながな

 平成12年も最終の月を迎えることとなりました。開教120年という節目の年を締めく

くる月であり、20世紀の終わる月でもあり、例年の年末とは異なり、本教が辿ってきた

歴史的な足跡や、激動した世界情勢の推移などが、改めて回想される月であります。

 本教の場合、時代を背負った先人達の犠牲的奉仕があり、それを基盤とした活動が

展開されたが故に、教統を保全できたという事が考えられます。又、我が国や我が家の

場合も、先人や先祖が作り上げた基盤に立てばこその平和安定、という事になりそうで

あります。

 それにしても、時代の流れとして人間の生活様式が変化する中では、何時となく生命

の保全に不可欠な水・大気など自然環境の汚染−という変化が生じており、同様に、生

活の保全に不可欠な家庭を含む社会環境の基盤にも変化が生じている!と言う事であ

ります。

 近時、その生命の保全に不可欠な自然環境の汚染については、次第に関心が強まっ

てきたと申せそうではありますが、生活の保全に不可欠な家庭を含む社会環境の基盤

変化という点については、基盤には及ばず表層を論ずるに止まっている様に見受けら

れます。

 暮らしやすい生活の保全は、協調的な人間関係の上に成り立つと考えられますし、こ

の点を踏まえた従前の生活様式が変化すれば、協調的な人間関係にも変化が生じるの

は当然であり、即ち我々としては、そうした成り行きに注目対処せねばならぬと考えます。

 利便や経済に関心が傾きがちなのは人情の常でありますし、それ故の家庭崩壊?と推

測される事例も見聞きされますが、それがニュースとなっている時点では、なお一般的に

は協調的な人間関係が保全されている!と受け止める事が許されるとも思われます。

 幸いに先ずは健康で無事に節目の年末を迎える事になった訳でありますが、こうした

状態の只今があるのは、その只今を支えてくれている諸々があればこその事であります。

年末多忙の間にあっても、そうした点に思い及ぶ時を持つことにより、心ゆたかに将来を

考える事が可能となりますし、そうした事で心ゆたかな新年を祝賀致し合いたいものであ

ります。

オノズの道

   皇 居 勤 労 奉 仕   その1