どの宗教も神仏は皆同じ?
(古神道・神理教を“本教”と記します)
どの宗教も神仏は皆同じ
6月号で、神道と他教の神の違いについて述べました。
その後、どなたでも一度は聞いたり思ったりする程度でしょうが、宗教者には職業柄よく投げかけられるであろう質問を頂きました。
まあ、質問というより、宗教家の皆さんは面倒くさい説明するけど、こんな理解でいいんでしょ、という感じです。
それは、神も仏も突き詰めれば宇宙に通じる、或いは宇宙を主宰する神仏だから、皆同じですよね、というものです。
それを、うちの神仏だけは特別、等と主張するのは、不信感を抱かせるだけの、愚かで恥ずかしい事ですよね、と言いたいようです。
その都度ちゃんと説明出来た方がよいでしょうから、それに応えるのに参考にして頂ければと、話題にしました。
これまで、神が自然と人を創造したという一神教と、神は自然や人の先祖の大元と捉える神道との違いは、お話ししてきました。
しかし、この質問は、その違いはどちらでもよい事で、大元の神仏についての話です。
私は、質問者の真の神仏への感覚が宇宙に通じる、或いは宇宙を主宰するものであれば、呼び方は違ってもそれで良い、と考えます。
ただ、世界宗教と言われる教団の神仏観は、例えば元が戦争の神であったり、一人の人が考えた仏であったりします。
それでも、それが宇宙に通じる、真の神仏と言うならそれで構いません。
真の神仏の受け止め方の違い
では何処が違うかというと、受け止め方の違いなのです。
簡略に言うと(6月号に詳述)、神仏に教団独自の名称を付け、教祖を絶対化すると、人が造った神仏になってしまう事です。
誤解を避ける為に付け加えると、宇宙に通じる真の神仏でない、従神や教祖への神格化と絶対化は異なります。
:注従神(したがうかみ)=日本なら、例えば稲荷神(衣食住)や須佐之男命(勇気)や大国主命(政治)や少彦名神(病気平癒)や思兼神(知恵)等です。
又、中近代の人が神格化された権現様には、菅原道真(学問)や徳川家康(政略)や東郷平八郎(戦略・忠義)等、いわゆる御利益・尊敬される神です。
神格化されても、一部の人を除いて一般的に絶対化はされていません。
日本だけでなく、世界に自然発生した神話を見ても、従神は間違いも犯しながら、尊崇される方に成長し、神格化されるものです。
それは、子孫である人間にも、その方向に進むよう促しているとも言えます。
因みに、本教の教祖も、神格化されていますが、絶対化はされていません。
神仏に独自の名称を付けるのは、宇宙を主宰する普遍の神でなくなると言う事です。
それを自分の教団に囲い込み、その教団に属さないと普遍の神仏の守りを得られないと主張するのは人造教であり、矛盾です。
多分、その矛盾に自分でも気付かず、子弟や教信徒に押しつけになっていることにも気付かないのかも知れません。
更に誤解を避ける為に付け加えると、本教の天在諸神は読んだ通りで、神道の真神をより分かりやすく称えた神名です。
真神への近道を伝える教え
ここで、本教の、他教とも、また神道一般との違いが見えてきます。
宇宙神を自分の教団の物だけにするか、宇宙神の受け止め方(=悟り)を伝えるかという、根本的な違いです。
それは、我が教団の真神の正当性ではなく、これまで、そしてこれからも、万人の思い描く真神への近道を伝えるのが本教なのです。
本教に帰教頂くのが便りも良く有り難いと思いますが、本教の教えを生活に生かして頂き安心を得ることが、第一義なのです。
そこで、応え方は、
「そうですね、(神への意識の形成の永い試行錯誤の歴史を別にして)短絡的には皆同じと思って頂いて良いと思います。
ただ、その神仏をどう受け止めるかです。
本教の教信徒でも、そうでなくても、誰にでも出来る、安心に導かれる考え方や心得(神への近道)をお伝えするのが神理教です。」
は、如何でしょう。それは何かと聞かれれば、
例えば考え方として神と先祖との関係や霊魂観、心得として幸福への道程や霊祭やお祓いについてお話頂ければと思います。
御教誡十箇条(略解の詳解)43
第四条禍いを避け病の癒ゆる厚き神徳を
忘るることなかれ12
6)まとめ(第四条の概略・筆者付記)2
*7月号の復習
仏教は、こだわりをすて無我を求める余り、現実から逃げ腰となる。
キリスト教等の一神教は、宇宙人のような天の神ばかりを意識し、親や祖先と切り離された感覚に陥る。
共に、生きるために必要な欲や拘りを頭から否定して寄付に利用し、親・祖先からその大元を探る道を絶って教団のみを中心とする教え。
人の本性からしても、快くはない筈。
*つづき
また、民間信仰のように、馬の頭や、狐や狸を信仰すれば、本能のみに片寄った心を持つ事になります。
本能も大切ですが、理性とのバランスが大切です。
間違った信仰は、信仰しないよりも悪くなることさえありますから、その正邪を見分けることが肝要です。
本教の天在諸神は、親・祖先から繋がる、大元の神のことを言います。
この神の自然な正統に気付き、この神を信仰を通じて、現在の立場への感謝や、孝行や誠実への向上心が湧いてくるものです。
そこで神は、その誠心を愛でられて、禍や病を除去して下さるのです。
二代管長のお諭しのように、誠(=正直)の心を以て祈るなら、神は必ずお陰を下さるのです。
(第四条終り)