(おのず)(から)(みち) 362 管長 (かんなぎ)()(さち)(ひこ)

宗教の成り立ち

(()(きょう)(かい)は、一連の題が終了後再開)

*科学と宗教

科学の起原は、キリスト教が神の存在を証明しようとして始められたと(:注)見ましたが、宗教の成り立ちと比べどうでしょう。

:注=不思議なキリスト教・講談社現代新書

科学の成り立ちは、学問としての音楽や美術も同じで、キリスト教を美しい音や絵で伝え神の存在を証明する為との事です。しかし、

現実はそれらの多くは自由に発展・展開した結果、科学は神の不存在を証明出来る、(ない)()はもうすぐそうなるとも伝え聞きます。

皮肉な話ですが、本当はどうなのでしょう。

*天造教である神道の成り立ち

神や天国や地獄の有る無しの起原は、時折ここでもお話しするように、古神道である本教では、次のように捉えます。

日本の神道は、他の民族とも平行して人類がただ生きる為だけでなく、(いわ)(ゆる)物心が付いたと言われる約1万年前から形作られます。

雑食への移行から脳の容量が増え、稲作等で生活にゆとりが出来たからとも言われます。

社会生活を営む人間は、協調性が必要で、その為には損得勘定だけでは、心が通じ合いません。

円滑な社会生活に普遍性を持たせる為には、(かん)(ぜん)(ちょう)(あく)(ことわり)が元の道徳が必要になります

しかし、短い期間では結果は出にくいもので、損得勘定だけで悪行をなす者が得をし、善行をなす者が損をする現実が起こりえます。

そこで、社会性というより大きな視点から法律が整備され悪行は罰せられ、加えて信用の必要性も強く意識されます。

それでも、道徳を破り法律の(あみ)(くぐ)る者てくるのも自然の成り行きでしょう

勧善懲悪は人間が持つ本性だと思われますが、そうならない現実が社会への失望や不信をも招きます。そこで、

(しん)(りつ)という生前・現世・死後の世界を見通すという、より大きな視点が発生し、約1万年の間試行錯誤が繰り返されたのです。

こうして、神の存在の有無や死後の世界と現実との関連や道徳の元となる善悪との因果関係等についての考えが蓄積されます。

生前と死後の世界をどう捉えるのが一番安心が得られ、現実とも整合性があるかと、言語の形成と並行して、導き出されたのです。

それらが取捨選択を繰り返しながら錬磨された叡知の結実が、日本では(もと)()(おしえ)・古学・古神道と呼ばれるものです。古神道は各民族や民族間で伝播し合い、歴史を受け継ぎながら錬磨された、日本民族での結論の一つです。

また、それと平行して(もの)(のべ)(かんなぎ)()(佐野)家と81代に渡り精錬され、時代にあわせて分かりやすく伝えてきたのが本教なのです。

人類・日本民族の叡知として導き出された敬神尊祖の結論は、大自然の心、すなわち神の心として、天造教とする()(えん)です。

いったん死んで(よみがえ)り死後の世界を科学で証明することは出来ません

しかし、大多数の人たちに安心と共に納得

出来る整合性を持つ考え方こそが、真理であり神の心と捉えるのです。

(もと)()(おしえ)の観念は、インドの七道輪廻と共に、代表的な神観と死後観だと思われます。

前者は世界中で自然発生したと考えます。

その理由は、人が造った一神教が出来る前の、各民族に(のこ)されている神話同士の類似性から推測出来ます。

後者と比べどちらが正しいかの判断の詳細は別の機会に譲ります。

しかし、前者の神道が先祖祭りを大切にするのは、転生することなく子孫を見守るという考え方からです。

どちらの方が安心への整合性があるかを考えれば、自ずと判断がつくことでしょう。

*人造教の成り立ち

天造教でも権威を自己利益や政治に利用するなど、本来の目的を忘れてしまう教団もあります。

祭政一致が悪いとは思いませんが、目的がいつのまにか()り替わっている事があります。

宗教の腐敗ですが、そうした時、それを否定しつつ新しい宗教が世界中で(おこ)ります。

それぞれの教祖の初心は不明ながら、前者を否定することで、多くは全く新しい権威を作りだすと共に勢力の拡大を(はか)がちです

しかし、天造教の教えは人の心に既にあるのですから、善し悪しは別にしてそれを利用しないわけにはいきません。

そこで、先ずこの天造教の教えである神や男神や女神や天国と地獄の神話を巧みに掏り替えます。そして、それを教祖が作ったように信じ込ませるのです。

又、教団によっては、その教えを信じないと天国に行けないばかりか、地獄に行くと脅すのです。私たちは、天造教と人造教の違いを見抜けなければなりません。

その教えに帰依しなければ天国や極楽に行けないという脅しを行うのは人造教です。

天造教は、その心が神と同質と意識する事から、心をきれいに保つべく、罪に染まらず、染まれば祓うことを心掛けます。

それさえ実践すれば、本教へ()()せずとも、無神論者でさえも霊魂は軽くなり、一定の安心を得る(=神の世界へ帰り昇る)と考えます。

そして、先祖の大元である神と波長を合わせ、世の為人の為に尽くすことです。

(うつし)()(かくり)()とのバランス

本教の(てい)()第七条に、

「神理教徒は、よく()の神の道を守る者は、死後、神の(みもと)に帰り、子孫を守り、長き安楽を得る事を信ず。」とあります。

これも科学的に証明出来るものではありませんが、この世だけとの考え方は、例えば支那(:注)(かん)(がん)の多くは、子孫が出来ないことで、その世限りの贅沢のために賄賂を取り、他人を(だま)すなどの罪にも(ちゅう)(ちょ)しません。

:注宦官=帝や皇后たちの身の周りを世話する、去勢された官吏

今の世界しか見てないと、生きている内に欲を(むさぼ)ろうとする、(さつ)(ばつ)とした世になります。

しかし日本人は、死後の長い子孫を見守る喜びを信じるからこそ、罪を犯さず徳を積んで、他に優しくあろうとするのです。そこで、この世が神世のように、他にも優しく人を騙さない、という道徳が自然に形成されます。

この整合性が死後の世界がある事の、論理での証明になるのだと言えます。

神道は宗教の基本、と一部の外国の宗教学者に指摘されています。

それは、こうした考えを現代に伝える心が日本の文化に見え隠れしながら存在が認められているからだと思われます。

令和3年2月号 No.1284  2021-2
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