けいごボールボールボール

   
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「第一節から百節までのご紹介」

歌

第一節

 今日一日は一日の御陰である。 只今の今は今の御陰であると心得て新たな

気持ちで神恩を思い出さねばならぬ。


第二節

 神は遠く尊く、されども声の大なる故に聞ゆると云には非ず。人は卑といえども
 

声は小さしといえども誠の声は必ず神に達す。


第三節

 神に対して信仰の心なき人は人に対しても信用せられぬ。


第四節

 金の杖はまがる。 竹や木の杖は折れることがある。 神を杖につき世を渡れ

ば安心じや。


第五節

 貧者よ来れ我之を富せん。 苦者来れ我之を楽しません。 貧者と苦者わはが友なり。

    

第六節
          

 今や世界は正に粉解せられたる箱の如く其用をなさず。 吾は世界の膠とならむ。



第七節
   

 今や全ての人は飢えて正に死せんとす。 吾は人類の糧とならぬ。


第八節

 

 神理は宇宙を一貫して活動し、人類によりて形に顕れたり。 此艶麗無障の神

  

理の国は世界 何れの 処にか 出顕を 見るに至らむ。


第九節

      

 神は人と国境により神徳を与ふるに差別なく、平等なる愛を与へ玉へり。 

         

受ける方から差別を作るのじや。


第十節

  

 神の前に顕れざるものなし。 隠れたる処尤もよく顕はる。 衆を 畏れず只独

りをつつしめよ。                   

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第十一節

                     

 家は大工が作る。宇宙は神が創造したまひしもので、天地のよく長く且つ久しき

   

は其自ら生ぜらるにより、長く久しきなり。


 

第十二節

 神の力は神より外に知るものなし。 人の是を知るは其の幾分である。

人もし神の力を知らもと欲せば屋外に出て見よ。 空が神である、下が神である、

しかして家の内もまた神である。


第十三節

 家や財産は此の世限りのものじゃ。 御神徳は此の世計りでなく、先の世まで

も子孫の世までも持って行かれる。 然して御神徳は信心の力で誰でも受け取

ることの出来る、それは生まれぬ前からの因縁で、そうなくてはならぬのじゃ。


第十四節

 天地日月星辰みな丸い。その大宇宙の代表として生まれ出たる人の心に角が

立つから平和といふことが敗れる。 角さへ取れば世の中が治まり、家内が円満

に神の世界が地上に現出する。
  


第十五節

 天地は神が本で形は末である。 人間も霊が主で体は従なれどやはり1本の

木の如く形に影の添うよふなものである。 若しそれ躰主霊従となれば躰が死と

なる。然れども死は叉永久の生となる。


第十六節

 天地初発の時は熱と冷との戦いでしかして今日の如き軌道をたどる事の出来

た。その地球に住む人も幾たびか戦争の後に世界恒久の平和が出来ると同じ

く、1固の人間も1生の内に幾変遷の困難に遭てそれに打勝てしかして人格が

出来る。


第十七節

 世を神代と返し、自己を神としてそれから出発して真の人間となることが出来

る。


第十八節

 神の為に身を愛せよ。 己の為に身を愛することは逆事である。 もしも己を制

するの勇なくして人を制せんとすれば必ず他より制せられ、害必ず其の身に及

ぶ。


第十九節

 神の御心に叶ふたとは身代人格永続の揃ったのを云う。 其の一が欠けては

まだまだ神の心に叶はぬ処があるのじや。 

 能々心がけて人を殺さぬ様に世を害せぬ様にするがよい。


第二十節

 焼かれたる火の中も、流れ行く水の中も不断不動の妙用を顕はして神霊はま

し玉へり。

 神はその無相と同体にして。 実相なり。 人は宇宙実体の1分である。

 故に神も叉人身に宿りて心身統一の境遇となる。


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第二十一節

 人と使役せんと思えば己先づ人に使はれて其辛酸を知りなば人必ず心服せ

ん。心服せざる人を使へば損害危険自ら伴ふ。 必ず人を軽んずることなかれ。


第二十二節

 時々事々其時その事に当りて正邪善悪の観念は神の命令と考え邪悪をさけて

行ふべし。


第二十三節

 世界の平和になる時は一列日本となる。人の心も日本となる。


第二十四節

 社会救済は神の心で人の責任である。 この心が即ち信心である。禽獣には

此心ありても此を実行する事が出来ぬ。 神は実行しつつ人はなさむと思ひ至

れば実行することが出来る。


第二十五節

 個人は社会の力を仮りてその発達と幸福を全くし、社会は個人の発達の力に

より強固となりて発達を遂げる力を生じ、以て平等の神の心にかなふ。


第二十六節

 掃除とか応対とか進退とか其度を誤らぬ様にするは神を祭るの本旨で、人と

交わるの道である。 過ぎても足らいでも非礼となる。


第二十七節

 心身は神から貰った私有物で財産は人から預かった共有物と思えばよい。 

貸したと思ふな施したと思ふな借りたと思へ、貰ふたと思え。


第二十八節

 人には各其職分がある。 職分にはそれぞれの責任がある。 責任には権利

が添てをる。


第二十九節

 人間贅沢は時を空費するが第一で倹約は時間を調節するが肝要である。 

金銭も大切であるが夫は末の末である。


第三十節

 国の本は家にあり、身の本は家にあり、家族本位が社会組織の本源で本教

の要領である。
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第三十一節

 神を敬ふが如く皇を尊び、皇を尊ふが如く人を愛し、人を愛するが如く己を重

んじ、己を愛するが如く更に萬物に接すべし。


第三十二節

 人は神の使命を全くする為に生て生命を持つものなれば食をなすなり。 故に

食ふが為に生きずにあらず、生きる故に食うのである。 よく食ふて活て長く活て

食ふて繁殖して神の使命を全くするが人の勤である。


第三十三節

 人は食ふ為に働くに非ず。 はたらく為に食ふ。 故に働かざるものは食うべ

からず。幼者は更に働くべく、老者は既に働きたればなり。


第三十四節

 悪いものにも良いものにも一得一失はある。 只此をよく友とし、よき心に導く

が真の人である。


第三十五節

 我心身は開闢此方親神祖先父母を通じて自己に至つた祖先の遺産であるか

ら大切なものじや。 之を忘れぬ様に神人一致の至域に達するのが真の信心じ

や。



第三十六節

 神徳とは不幸が幸となり、病気が直つた計が神徳といふのではない。いつも健全

なるのが神徳である。


第三十七節

 日々只今生まれて来た心になりてこそ人は健全なる生活が出来る。


第三十八節

 人に交わるには水の心になれ。 醴の如くすべからず。水は濁りてもすぐ澄返る。

醴は甘けれども腐り安く、且つ永く持てぬ。すぐ味がかはる。


第三十九節

 人の世に処する宜しく清き水の流れにつくが如くせよ。よしかき濁すもの有るとも遂に

時を経て清み返り決して本質をたがへぬにならへ。譬え他より盗人乞食といわるるとも

怒るほどのことはない。己かくの如き行為をなし居らねば神の照覧し玉ふにまかせよ。


第四十節

 
人は其事に当りて実際に健実ならねばならぬ。もしも悪い心の人、悪い事にさし当たり

ても一層健実に親切に叮嚀に成したならば必ず相当の効果を得られる。決して同化せら

れぬ様にかる事を要す。
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第四十一節

 虚栄と驕者の二を去りてまじめに忠実の力の限りをつくし、家政を処理するのが女の社

会に奉仕するの本分である。


第四十二節

 日にやけるを厭ふな。働いて日に焦れば返つて兼て醜い顔でもよく見へる。さもない女な

ればなほしもである。


第四十三節

 人は自己を生存する権利を有すると共に他を殺さざるの義務を考えざるを得ず。自己も

他人も斉しく神の子孫であるから神の目から見るときは自他一体である。


第四十四節

 人は神の威力に成出たる萬物を接受して生活するものなれば其物は申すに及ばず、神

に対し常に感謝の意、もしくば行為をなさねば更に其功顕を受けぬことになる。能く受けさ

へすれば神は更に向倍力の徳を持ちておるから其を授くることを悦ぶ。


第四十五節

 他を愛するは自己に忠実なるので即ち自己を愛するのである。世界の平和を欲するは

自国を安泰ならしむので是が総て人の誠である。


第四十六節

 人は天寿を全くして然して天分の本能を発揚すべし。只世の中を客人気分で通しては実

が入らぬ。故にやはり主人となりて何事にも健実に所理せねばならぬ。


第四十七節

 右が左となり左が右となりたる時は背が腹となり腹が背となりたる時である。故に矢張り

右は右、左は左とせねばならぬ。


第四十八節

 人もし大きく生むと思うならば小さく死すべし。大事の前の小事と云うことがある。世の人

を救はむと思はば先ず己を殺すべし。是が信仰の基礎である。


第四十九

 神の声は民の声となる。神を啓するは民を愛するにある。


第五十節

 錐は鋸とならず。鋸は叉錐とならず、女が男になれず、故に男女は同権なれども夫婦は

同権にあらず。男は種なれば女は畑の様なもので女は中々大事なものじや。

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第五十一節

 神は国と処と人とを撰ばず斉しく守ると共に敬ふによりて益々威をまし守りを新にする。

故に無信仰の人ほど可愛く思はれて神の守りを受けてくれと御試しか有りおる。


第五十二節

 人間相互の愛と個人の信念は神の心である。


第五十三節

 人間は常に勇猛精神して心意の忘念邪悪を征服して正智を啓き正道たる事に怠るべか

らず。


第五十四節

 人が悪いと云ても之を隔てはならぬ。之を近づけ改善して救済するが人間相互のつとめ

である。


第五十五節

 霊と肉との調和する様に養ふて行たい。霊は信仰の糧を得むがために働かせ、肉体は

是非共経済上の必要があれども、両方互に相助けなければならむ。霊の糧を求めむ時に

は肉躰の糧を閑却せぬ様に更に躰の経済を計る時は霊の糧を忘れてはならぬ。


第五十六節

 世の中に人がなければ立たぬ。されど己がなければ叉人もいらぬからまづ身を大切に

すべし。


第五十七節

 人の先にゆくのを待とて召止むよりは己急ぎて追付べし。人が後から来るならば急がず

して待つてやつて同道するが社会共済の原則である。  



第五十八節

 家を建てるのなら基礎工事を能くせねばならむ。生身に徳をつけるも死して神となるも誠々

で信心せねばならぬとも同じ事じや。



第五十九節

 入物が動けば水はいつまでも静かならず。神に御願いする時はいかなること有るとも後を見

ずして神に一致させて貰ふがよい。



第六十節

 善の勢力を作りて不健全の能力を排圧たい。正邪と勝敗は一つでない。時の運不運がある。

神は遠大を一括したまふぞ。
                        



第六十一節

 大宇宙のこと日も月も地球も其他総ての物は、自他相互に関係して出来て共に存在す。

神も人がある為にあり、人も物も神が在故に出来る。



第六十二節

 烏は鴟梟の巣に居る子を昼鳥にゆけば、ふくろふは夜烏の子を取りにゆくと聞く。人には誰でも

欠点のある故に和喪協同せねば社会は保ちて行けぬ。



第六十三節

 世の中は自己計りで立ち行けるものではない。故に社会奉仕といふ考へを以て一託は千金より

重ししいふ義気を以て精神を修養し人格を作りて社会に立ねばならぬ。



第六十四節

 真実を行はむとするものは常に真実を語る。人は宜しく真実の行ひと真実の言語を以て世に立つべし。



第六十五節

 平等に差別と云ふ事が基と成る。もし差別無ければ平和も平等もすみやかに成立せぬ。



第六十六節

 何でも世の中のことは十二分働いて八分で納得するのが肝要である。



第六十七節

 道は平坦にして通行し安し。若し溝渠があらば橋を架けて渡れ。



第六十八節

 幹と枝葉はもと是一体である。これが分かれた時は其木の終末である。神は幹で人は枝葉である。故に神信心の心を棄てた時は人の終わりである。



第六十九節

 神を信仰する時は平気となりて例令いかなる事が有るとも後ろに振向くことはてけぬ。

物音や人声で後向く位では神の御陰はうけられぬ。



第七十節

 富のなきを憂へずして職の無きを憂へよ。

                    


第七十一節

 萬人は萬人のために働き、萬人は萬人の為に報ひよ。



第七十二節

 吾が所謂世界統一は干戈征伏に非ずして道義的世界統一なり。



第七十三節

 強きものが勝とのみ思ふな。弱きものも遂に勝を制することあり。



第七十四節

 利に走らざる国家、人を殺すことをたのしまざるものよく宇内を統一せん。是強て統一するに

非ずして天下之に帰するなり。



第七十五節

 自然は、目で見定むことの出来ぬ。もし自然に背けばいつか自然の制裁をうける。



第七十六節

 世の中の事は無くては足らぬ、多くては却つて宜しくない。度を失はぬ様に心がくるが

第一で有る。長く続かねば繁昌ではではない。故に驕りがましい事はせぬがよい。



第七十七節

 楽しみは一人にても楽しむ事の出来、叉衆と共に楽むことの出来る娯楽を撰ぶがよい。

必ず二人以上でなければ出来ぬ楽みは取らぬがよい。



第七十八節

 田植えは正條にするがよいけれども狭き谷田はその通りにならぬ。下田は手太に厚く植へ、

上田は七寸位にして七本位植がよいとのこと。何事も百事が万事其度を失はぬのが天然じや。



第七十九節

 田も畑も神の作るものにして人はその神の作る功を補助するだけで其収得は全部使用する

ことが出来る。



第八十節

 人の善事は可及ほめて其悪い事は可成云はぬようにして痕跡を消すがよい。

                      


第八十一節

 霊と肉との一致して大悟徹底するを神人一致の域に進むと云ふ。こふなれば境遇が自由自在になる。



第八十二節

 人は外に同情を求むるのみならず内に充実せる力を養はねばならぬ。



第八十三節

 士農工商男女幼老総て偽らざる労働をなす之を神の道と云う。



第八十四節

 祖先が神の位に昇ることを得ざれば子孫に病気災難がある。子孫の悪念醜行を見て祖

先は涙を流して苦労を重ねて其守の徳が薄らひでゆく。



第八十五節

 信仰は神徳を導くの導火線なり。恰も電気が宇宙に有ながら其有ことを知らぬを光道

と電球に導ひて光を放がようなもの。



第八十六節

 暗黒なる盲動より高明なる自覚にたどりて進め。



第八十七節

 信仰と云へば病気災難の時計に神の広前に来るけれども其時はその時々に

妨げらるゝ事ありて心のいそぐものなれば無事の時に神前に来りて信仰の稽古

を為すがよい。



第八十八節

 挙国一致も一家共同もまず個人の精力を錬磨するの基となる。



第八十九節

 人は総て実力を養成すべし。実力なき成功は成功にあらず。やがて衰へとなる。人に

於て然り、団体に於ける国家に於ける、みな然り。



第九十節

 他を利し人を益し、公共の福利に対し自己の心身を捧ぐればやがて叉自己の福利とし

て循環し来ることを思はねばならぬ。
   


                     


第九十一節

 惣て一致でなければ世の中は渡れぬ。唯心論でもいけねば唯物論でも駄目である。



第九十二節

 旧時代有らざれば新時代生るゝことなし。古きを温ねて新しきを知ると云事を能く思ふべきなり。



第九十三節

 信仰の念は剛勇ともなり柔和ともなる。



第九十四節

 兎も角も神を信ずる人は有るが神から信ぜらるゝ人が少ない。難義難題病難あれば神

から見捨てられたと云が神は見捨てたまはねども人から神をすてる故に助けむと思ひ給

ひても助かる事が出来ぬのである。



第九十五節

 人の此世に有る間は役心役形各其仕事に差別有て労働せねばならぬが之を只己を利す

る為と思ふは間違ひじや。社会奉仕の為に神から命ぜられて此仕事が出来ると思へば有

難くなる。



第九十六節

 敬神尊祖を道の大本とし、勤倹実行を処世の要となし、子孫を愛撫するが人間の取る

べき道であると思ふがよい。



第九十七節

 天地の親神から出たる此魂魄、父母から生れた此肉体、護国の神となるか産須根神と

なるか大なり小なり神となる覚悟で修業せねば成らぬ。



第九十八節

 世の中に神々と云て神を絶対超越したものゝ様に思ふは間違じや。神は親しい睦じい

もので神といふものは父母が近い神で、遠い祖先が神であり遠い遠い大元の祖先が天地

日月星辰萬物を作つたので其愛は永久に且遠大である。 人が大元に帰りそれと一致融

合すれば即ち神である。



第九十九節

 人間の霊魂は再び人間と生まれかわるのではない。人間の生まれ更るといふのは心を

入かへるのじや。人間の魂は神から出て神になるのじやにより現世に於て神になる修行

が一番大切である。叉子孫のものは其神様になられるよふに行ふが肝要である。



第百節

 自由を唱ふるは、上の圧迫を避けたさの志想。厭世を説きたるは下の叛乱を惶れたる

の観念。二つながら逆境から起こりたる信仰であるが、親神の道は上下一致古今一貫の

大道で在、故に極端なる理想はない。只推神である。