神理雑誌「平成15年11月から抜粋」
明治10(1877) | 「天津皇産霊考」内務卿・大久保利通に献本(明治11 大久保暗殺) |
8月 | 教祖様(43才)開教に向け本格的に始動 |
明治12(1879).1.29 | 教祖様(46才)神道事務局より教導職試補補命 |
6.30 | 「神理学入門」著 |
明治13(1880).7.19 | 神理教々会開設許可(内務卿・松方正義)神道中教院所属 |
7.25 | 「教誡十ヶ条」著 |
11月 | 遠賀郡に講社 |
明治14(1881).4 | 企救郡高野に分教会 |
4.23 | 神理教々会所落成(旧宗家) 神道事務局に所属、教会所東隣に仮教場設置(3間半×4間・14坪) |
明治14.10.23〜明治15.2.28 | 上京「東行記」に詳し |
12.22 | 明治天皇に神理図・教書を献上 人脈を求め皇族・宗教家と面会 |
1.15 | 神道総裁 有栖川宮幟仁親王(1812−1886)と左大臣熾仁親王(1835−1895)親子に拝謁 教祖様の羽織は綿衣にして紙こより紐幟仁親王これを賞め給え「神理無敵」の書下賜される |
1.31 | 太政大臣三条実美に拝謁 |
2.1 | 右大臣岩倉具実に拝謁・帰途松阪の本居宣長の墓に詣でる |
明治16(1883).5.5 | 教祖様(50才)五畿巡教 |
〜8.9 | 権少講義より異例の5階級進級し大講義補命 |
明治17.3.28 | 内務省より内外医術開業免状(51才) |
明治17.7〜11 | 上京 |
9.21 | ロシア正教のニコライと問答 「ニコライ問答集」詳(門人吉村友槌 明治22.11著) |
明治17.10.22 | 神道事務局管長より権少教正補命 |
11月 | 神道本局直轄教会となる |
8.11 | 大政官布達19号「神道各教派の教導職の任免権は国家管理から各派管長に一任」 |
明治18.2.19 | 権中教正補命 |
12月 | 伊藤博文初代総理大臣 山県有朋内務大臣 |
明治19 | 教祖様(53才)は門司港開発の先鞭をつける後 渋沢栄−、浅倉、大倉、安田の各財閥の援助 で明治22着工 305戸、1035人塩田中心の門司が37万人の大都会となる |
明治20.12.7 | 伊藤博文総理、大山厳陸軍大臣 小倉手向山砲台巡視 |
明治21(1888).10.22 | 独立の為御嶽教〈2代管長鴻雪爪(1814−1904)〉に所属教祖様(55才) 大教正亡父経勝翁贈大教正 |
明治22〜23 | 内務大臣副島種臣(1828−1905)に独立請願の為上京「千代田日誌」詳し 教会50 信徒50万人 |
明治22.7 | 東海道本線開通(新橋〜神戸20時間) |
明治24.11 | 990名の信徒総代連署の上独立請願 |
明治27.7.26 | 日清国交断絶に教祖様平和祈祷執行 |
明治27.8.1 | 日清戦争宣戦布告−明治28.4.17下関講和条約 (教祖様は前線の小倉歩兵14連隊に御守り献納2軍司令官大山巌大将より礼状 11.21 旅順一日にて攻略) |
明治27(1894).10.19 | 二次伊藤博文内閣 内務大臣野村靖より 神理教独立許可 教祖様(61才)管長となられる |
明治28.4.4〜7.7 | 全国巡教 広島大本営にて明治天皇に拝謁し単身伊勢神宮・熱田神宮御参拝し関東・東北・北陸・近畿・中国の 各地方を72日間で巡教され多大な成果を上げられる |