ご神前に榊をあげる。

 椿やサザンカなどはあげない。榊は低木常緑樹であり常に緑を湛えている。榊はサカエギ(栄え木)として語呂も合い、その変わらぬ緑は、神・先祖を敬い尊び続ける自分の心の変わらぬことをも示しているのである。
 お灯りを燈すのは自分の心の明るさを奉ることを意味しており、あの灯りの色は心の色を示しているのである。
 心は表現されて初めて心といえるのではなかろうか。心がきれいな人と言われる人は、どこかきれいな行ないをしているからその様に言われる訳であり、元にある心がとかく云われるのである。どんな行為も心によって表現されるので、楽しければ顔はほころぶし、怒りがあれば顔は曇り鬼の様になるのである。
 祝詞の最後に「我が心清々しい」と唱えるのは、私たちは重大な教えとして受け取らねばならない。清々しい状態とは?自分はいつも清々しいのか?そうするには?・・。神前の榊葉の緑、燈明の灯りを見て、心の曇りを少しでも取り除く反省が今必要である。

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